枯れた街(20)
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搭乗口に来ると「クジラ」のジャンボだとわかった。2月5日までの運航とは聞いていたが、震災の影響で「普通のA空輸」に戻るのは延期になるのではとも言われていた。座席はもう他の機体と同じになっていてクジラのマーク入りのものはなくなっていた。機内はやはり満席の状態になった。午後7時40分の出発予定は5分ほど遅れた。
冬場は北向きに離着陸することが多いが、南向きに滑走が始まった。貨物室もいっぱいなのか滑走を始めて三十秒たってもまだ機首は上がらなかった。ようやく地面から離れたと思うといつもに比べて緩やかな上昇だった。窓側のイヤホンを外してエンジンの音を聞いていた私はミュージックに気持ちを戻した。
搭乗券の半券による抽選もなく、普通の茶菓子が配られた。菓子の袋にはクジラ飛行機のデザインがあしらわれ、紙コップにもクジラのマークが入っていた。私は窓の下に広がる夜景に視線を走らせた。十一月に福岡出張をして羽田に戻るときは大阪も神戸もギンギラギンに輝いていた。神戸がいったいどうなっているのか気になった。電気は復旧したそうである。
離陸から30分くらいして、窓の下に関西国際空港が見えた。そこから大阪湾に沿った輪郭は分かったが、大阪と神戸の真ん中あたりから光は弱まっていた。大阪は前に見たのと同じく黄色い光が夜空に放たれていたが、神戸と思わしきあたりの色は青白く、それは街が枯れてしまったような印象を与えた。私はエンジンと翼の影に隠れてしまうまでその陰影を見ていた。
羽田に下りて小岩に着いたのは午後10時前である。翌朝の朝食にするクリームパンと野菜ジュースをコンビニエンスストアで買って家のドアを開けたら、畳の匂いが鼻を突いた。コンセントを抜いていた冷蔵庫を再び動かし、テレビのコンセントも差し込んだ。土曜日は職場に出て、名古屋のメタノール自動車とか関東と北海道の鉄道貨物輸送に関する調査の状況を確認しないといけなかった。
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