その先へ飛ぶこと(23)
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午後6時から始まった懇親会は現在の社長の挨拶から始まった。社長は二年ごとに本社から下りてきていてトモヒロが辞表のあて先とした人から変わっていた。元は作業指導部といっていた部署が長く、物流技術のOB面々との認識度は高かった。
経済研究部から大学教員に転身した人は多かったが、顔を出したのは森岡先生だけである。資料室の隅に来ていた数人のOBは来ていた。食堂のテーブルは4人掛けで、トモヒロは森岡先生と資料室通いの二人の人と同じテーブルに座った。
「N大学って福岡なのねぇ。学生はどのくらいいるの」
名刺を森岡先生に渡すと早速尋ねられた。
「一学年150人です。ほぼ揃っています」
「授業は何を」
「物流産業は三年生の全員が、ゼミは14人います」
ゼミは全員に優をつけた。物流産業のほうは出席が足りない者を除くと全員に単位を与えた。優の判定は80人につけておいた。
そのあとは席を入れ替えて松崎氏に大学のことなどを話し、懇親会は8時前にお開きとなった。駅までは森岡先生と一緒に歩いた。先生の住んでいるところは西武新宿線の沿線で、トモヒロは飯田橋の近くにあるホテルだった。
総武・中央の各駅停車の電車は新しいタイプが増えていた。秋葉原駅のホームに上がって両国方面に向かうのも入ってきた中野行きも飯田橋で降りたときに反対側にいたたのも新しいタイプである。
ホテルは貨物専用の飯田町駅の跡地に建てられた。飯田町は紙の専用列車がやって来て出版社の印刷に使うものだったのが、紙輸送のコンテナ転換で専用列車がなくなり、駅は廃止された。学会のときに始めて跡に建てられたこのホテルに泊まったが、何となく気に入って定宿にすることにした。
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