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2013年7月26日 (金)

枯れた街(17)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 1月30日から2月3日まで福岡のテクノスーパーライナー導入に関するヒアリング調査を行った。阪神大震災の影響もあって一部断られた企業もあり、日程はかなり無駄な時間が出来たりしていた。初日は福岡剣のトラック協会を午後に訪ねるということで、昼前に福岡空港に着いて博多駅近くの事務所を訪ねた。そして北九州にある実家に泊った。宿泊は研究員の場合、一泊9400円で固定されていた。出張旅費精算ではホテル代として精算するが移動の交通費との差額はかなり大きく得られた。

 一日目のヒアリングは一人でとなったが、2日目からは調査リーダーの亀井主任研究員とだった。午前中にN通運の博多港支店、終わってからすぐ横にあるクライアントの福岡市港湾局に挨拶して、午後3時からはN通運の北九州支店だった。この移動は新幹線で小倉のホテルに宿泊ということになった。本当はT機器を対象にしたかったが、すべてN通運に任せているという返事だったからである。

 3日目は黒崎のМ化学に行き、午後は明太子のF社だった。4日目はアサヒビールの博多工場に行き、それから久留米のブリジストンである。亀井主任研究員は別の用件で佐賀に行き、4日目は再び一人での調査だった。5日目の朝は甘木に移動してフルーツジュースを造っている事業所に行った。最後は天神にあるМ電機である。工場は福岡市の西の今宿というところにあったが、工場では分からないということだった。亀井主任研究員とはここで再び合流である。

 甘木での仕事が終わるとタクシーで甘木鉄道の駅に向かった。久留米から甘木には西鉄電車に乗り、甘木鉄道のほうは甘木から小郡という所まで乗って西鉄に乗り換えるというルートである。3日目の小倉・黒崎、黒崎・博多はJRの在来線、4日目は亀井主任研究員がホテルからタクシーで工場にだったが、私は小倉から博多までブルーとレインに乗り、博多からアサヒビール最寄の竹下へと乗り継いだ。その後は来る目までJRで移動した。

 ブルートレインは「立席特急券」で乗った。大小兼用の和式トイレに入って下はフックにかけて終わってからステップを降りて下を履こうとしたら尻がヒーターに触れたのか熱い思いをした。メンソレを持っていたのが幸いした。

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