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2013年7月24日 (水)

枯れた街(15)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 名古屋駅に着くと足が少し痺れかけていた。二階建てになった部分を見て食堂車に入るという手もあったのかなと思ったが、営業していたかどうかはわからなかった。グリーン車は閉鎖したかもしれなかった。中央通路に面した店で「きしめん」を食べ、地下鉄で会場となるホテルに移動したのが午後零時半である。

「東京からの新幹線は『こだま』だけで大変みたいですね」

 ロビーには委員の一人の地元大学の先生がいた。この先生はアメリカのメタノール自動車に関する資料を作って発表する予定である。会議室の入り口にはホテルのスタッフによって委員会の利用が表示されたが、大原室長はまだだった。恩田元常務はたまたま名古屋に所要があって前日から宿泊していたので影響はなかった。自宅は鎌倉にあり、新幹線は小田原から乗るということだった。

 外郭団体の事務局の女性スタッフが午後一時過ぎに到着した。実家のある大阪市の南部に帰省していて近鉄の特急で名古屋に来たそうである。ダイヤの乱れで少し贈れたということだった。会議が始まる予定の15分前に大原室長と事務局長が到着した。同じ列車になったそうである。事務局長は「東京と名古屋の飛行機はないんですね」と言った。昭和五十年代の半ばまで一日一便残っていたが、さすがに廃止となっていた。

「みなさん何とか揃われたようですから始めましょう」

 座長が一時半になって宣言した。まだ着いていない人は一人だけで、名古屋に住んでいるものの、岡山に行ったために戻れなくなったそうである。

 会議が終わったのは午後3時だった。フロントに置かれた新聞の号外を手にして驚いた。上がクリーム、下がオレンジの阪神電車が大きく傾いて、線路の近くにある建物が燃えていた。

「これは新幹線が動き出す時間なら大変だぞ」

 恩田元常務が言った。大原室長と三人で名古屋駅に行くと「東海道新幹線は京都より西での運転再開の見込みが立っておりません。現在、運転は『こだま』のみとなっております。ご旅行の取りやめをお勧めいたします」という案内放送が流れていた。

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