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2013年7月30日 (火)

枯れた街(21)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 震災から一ヶ月たって北海道への出張があった。どういうわけか札幌だけでなく、八戸でも調査して欲しいということになって2日にわたる日程となった。月曜日の朝一番に札幌へ向かう飛行機に乗り、雪のちらつく新千歳空港に初めて降りた。札幌へ向かう快速電車も吹雪の中を夏と変わらない走りっぷりだった。

 札幌の貨物ターミナル駅では運輸省の外郭団体の調査機関の人と一緒にヒアリングをした。N通運はともかく、Z通運とF社は鉄道に関してはライバル関係である。名刺は調査機関のモノを使った。調査の必要上、運輸省の若手官僚になりすますのは何度かやった。航空と鉄道の専門用語には自信を持っていた。

 貨物ターミナルを後にすると新千歳空港に移動して青森行きのDC9に乗った。定員130人の小型ジェットで、わずか40分の飛行だった。着陸のとき青森上空は雪雲に覆われて上下左右に大きく揺れた。山口出張の帰りに羽田空港の近くで大揺れしたのに続く怖い思いをした。

 青森空港から青森駅に移動して特急「はつかり」で八戸に移動した。ホテルの近くの居酒屋で生牡蠣などを食べ、翌日は八戸貨物駅でN通運とF社にヒアリングした。Z通運とは調整がつかなかった。八戸からの帰りは三沢からの空路もあったが、予約を取ることができなかった。それで八戸駅へと移動した。

 特急「はつかり」で盛岡へ、それから15分程度の乗り継ぎ時間で「やまびこ」に駆け込んだ。指定席ではなく、自由席である。研究所では西日本の仕事が多く、東北新幹線に乗ったのは初めてである。上野で降りて山手線に乗り換え、秋葉原では職場に寄らずに総武へと乗り換えた。

 小岩到着は午後7時に間に合った。「ヘルプ」の鳴り響くイトーヨーカドーの地下食品売り場で、六枚入り食パンとアップルジュースの一リットルパックを買い、夕食はハンバーグ弁当が「半額」のシールだったので、缶ビールと合わせて買った。それまでは大変なことが起こるとは夢にも思わなかった。

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