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2013年7月18日 (木)

枯れた街(9)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 平成7年1月13日は金曜日だった。羽田空港の新しい貨物施設とA空輸の新整備場見学に参加するため、昼休みに会社の玄関前を出るバスに乗り込んだ。ここでは健康診断のレントゲン車が止まる以外は駐停車禁止である。研究所から10人、本社の航空事業部などから15人が参加した。

 広田主任研究員の高速貨物船は技術的な問題のほうに入って文系の私は中心から外れた。福岡のテクノスーパーライナーは1月30日から2月3日にかけてヒアリングという方向でクライアントのほうで調整をしていた。新たに神戸空港計画での貨物施設という調査は尾崎研究主査を中心にアンケートをN通運の各地にある航空貨物施設へ送ったところである。

 三連休明けの17日にはメタノール自動車の関係で名古屋で委員会が行われることになっていた。さらに関東と北海道の鉄道貨物に関する調査も二回目の委員会が予定され、資料作りで三連休は全て出勤という状態である。羽田行きは息抜きのようなものだった。古いほうの貨物施設はN通運の新入社員研修で見学したし、成田空港・伊丹空港・福岡空港はヒアリングで入っていた。

 バスはJRの高架をくぐって昭和通りに入り、首都高速に上がった。JRか地下鉄でしか都内を移動したことがないので、高速から見る東京は新鮮だった。レインボーブリッジを車で通るのも初めてである。下は一般国道と「ゆりかもめ」で、上が首都高速だった。そこからお台場を通って羽田への湾岸線に進んだ。

「三陸沖、福島沖、茨城沖と地震が東京に近づいてくるのは嫌な感じだね」

 一番前の席で景色に夢中になっているとすぐ後ろの席に座っている二人組みが地震の話を始めた。どちらも本社の航空で、もしものときは羽田が救援物資の拠点になるだろなぁという趣旨だった。

 

 

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