枯れた街(18)
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甘木駅の建物は国鉄時代の風格のあるもので、ホームも一本しかない割には終着駅の堂々とした風情だった。一両だけのディーゼルカーは国鉄から第三セクターになった際に導入されたものだった。左の窓側は一人掛けのシートでこちらに座った。出張で地方の鉄道を楽しむ機会はごくわずかで、広島空港が移転した際の貨物施設調査で広島から三次にディーゼルで往復したくらいである。研究所の同期は五人だが、うち二人は相当な鉄道マニアだった。
田園地帯を走っていると太刀洗では麒麟麦酒の工場が見えた。ここもヒアリングの対象にするつもりだったが、アサヒだけとなった。しばらくして右手を高速道路が並走するようになり、乗り換えの小郡に着いた。ここは甘木鉄道が西鉄の線路の上をまたぐ形である。ホームが一つで上下とも同じの甘木鉄道に対し、西鉄の小郡駅は急行と各駅停車を乗り換えられるホーム二本となっていた。
小郡が始発の急行に乗った。黄色の車体に赤い帯を入れた6両編成である。平成元年までは特急に使われていたが、赤と白のツートンカラーの新車が特急用になってから急行に格下げされた。車窓は田園地帯が二日市あたりからは住宅街に変わり、大橋からは完全に都会である。天神で降りると地下の食堂街にある牛丼の店に入った。
震災から数日間は1000人単位で死者数が増えていたが、5000人を越えたあたりでストップした。とは言っても冬の寒い体育館に避難していて体調を崩して亡くなる人もいるということが問題だった。さらに被災地を見物する車や盗みをしている者もいるとかで戒厳令を敷くべきではないかと隣のカウンター席に座ったサラリーマン二人組みが話していた。
М電機福岡支社の入っているビルは天神のI百貨店の向かい側にあった。隣にはF岡銀行の本店があり、その反対にはМ銀行の福岡支店があった。私はN通運ビルの一階にあるМ銀行を給与振込口座にしていた。昼食のあと、視点のATМで1万円引き出した。亀井主任研究員とはヒアリング先のビルのロビーで落ち合う予定である。
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