枯れた街(5)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
十月に入って和歌山出張と同じ案件で北海道に出張した。朝羽田を出て苫小牧に午後、夜は札幌に泊り、2日目は昼前後に小樽である。今度は広田主任研究員とのペアだった。小樽のヒアリングが済むと釧路の予定だが、私は別の案件のために小樽で終了だった。
小樽の町はJR駅から海まで一直線の道になっているのが印象に残った。苫小牧は東京や茨城・八戸との航路があり、小樽のほうは敦賀や舞鶴との航路だった。釧路も東京や茨城との航路を持っていた。
「地震の影響はないみたいだから、予定通りに行くよ」
新千歳空港に直通する快速のシートに腰を下ろすと、広田主任研究員がおもむろに言った。札幌から小樽に来た時の車両は4人掛けのシートに斜向かいに座ったが、こちらは二人並んで座るタイプである。主任研究員は海の良く見える左の窓側だった。北海道は冬の寒さ対策のためか、朝の電車は車体両側のドア、こちらは三箇所あるドアと座席の部分に仕切りが設けられていた。
「東京の真下で地震が起きるのも怖いけど、もっと怖いのは浜岡と福島の原子力発電所のそばだよなぁ。震源までの距離の測り方は知っているよね」
「距離をXとして X/4 - X/8 =時間差T 2X - X = 8T X = 8T ですか」
「P波とS波の来る時間差を八倍すると出せるね 三箇所のデータがあれば震源が特定できる。それで東京から浜岡も福島も25秒位」
「問題は風向きですね。浜岡は西にありますし」
「福島は春先の北東風が危ないね。東京にも放射能が来てしまう」
小樽を出ると車窓のすぐ左は海になった。一年前の北海道南西沖地震では奥尻島で津波による死者が多数出たが、ここは大丈夫だろうかと思った。ガラガラの車内も札幌で満席になった。ここから空港までは三十六分である。新千歳空港と札幌は関西国際空港と大阪のようにうまくつながっているが、苫小牧は和歌山と同じく、乗換えが必要という配置だった。
| 固定リンク
コメント