その先へ飛ぶこと(2)
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錦糸町で各駅停車に乗り換えるのはすんなりとは行かなかった。階段の真ん中に上りだけのエスカレーターが設置され、そこに人が集中した。トモヒロもエスカレーターで移ったがそれで電車一本は後になった。もしかしたら小岩で追い越したのと同じかもしれないと思いながら前から三両目に乗った。
両国は江戸東京博物館・国技館・N大の付属高校が線路の北にあった。房総半島への新聞輸送以外使われなくなった行き止まり式のホームもあって趣のある駅である。隅田川を渡って浅草橋に止まり、線路がビルの二階から四階の高さまで上がって秋葉原に着いた。
秋葉原駅は南北に山手線と京浜東北線が走り、総武はその上に直角でクロスした。ここはずっと以前は貨物の取り扱いもあったが、それがなくなって広大な空き地が出来ていた。総武の浅草橋寄りはホームを支える柱が昔の航空母艦を思わせるような姿をしていた。御茶ノ水側は「秋葉原デパート」となっていて、2階と三階部分が店舗である。
総武のホームから山手・京浜東北の北行きホームに降り、さらに一階の改札へと降りた。出勤時はだいたいこのルートで、帰りも午後7時までに秋葉原デパートの三階にある改札から入れるとき以外は同じだった。改札から右に出て正面には広場があった。地下鉄銀座線の走る中央通りまでは歩いて50メートルほどである。
中央通に面して「○○無線」という名前の店がずらりと並んでいた。トモヒロがN通運に入社した頃は家電の販売が中心で、海外からの観光客が電気製品を購入して秋葉原駅に向かうという姿が多く見られた。それがゲームソフトやパソコンにシフトして試験期間中でもないのに中高生が昼間ゲームをしているのに首をかしげたこともあった。
研究所の者の中にも昼休みに飛行機のシミュレーションゲームをやっていたことがあった。ニューヨークのケネディ空港に降りずにマンハッタンの超高層ビルに突っ込ませたのを目撃した。七月にゲームに飽き足らずにハイジャックして機長を殺害する事件が起きてから飛行機のゲームは姿を消した。
N通運の本社ビルは総武線のガードから一つ目の交差点に面していた。秋葉原駅からは歩いて三分かかるかどうかである。八階建ての黒いガラス張りの建物の四階が研究所だった。通用口から入って階段で上がったが、少しずつエレベーターの誘惑にかられそうになってきていた。
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