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2013年6月19日 (水)

その先へ飛ぶこと(8)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 夜九時まで職場にいて帰途に着いた。そのまま各駅停車で市川まで戻るつもりなので、ホームの後ろのほうに行った。到着した電車は新しいタイプで車体が少し横にふくらんでラッシュの混雑を少しでも楽にしようという設計である。屋根の上のパンタグラフも菱形からシングルアームで単純な構造になっていた。菱形のパンタグラフは雪が降ったときに重みで下がってしまい、架線から電気を取れなくなって車両が動けなるというトラブルがあったために不適当となってしまった。

 一番後ろだと何とか座ることができた。シートは壁につけただけで体重のある人だと折れるのではないかという感じである。これは快速に使われている車両も同様で、こちらは窓に直角に座る分、さらに折れるリスクが高い気がした。トモヒロも所内では「太めの体型」となっていたが、もっと重そうな人は4人いた。トモヒロは言われなかったが、その四人はエレベーターに乗るときに「過積載警報が鳴る」と言われたりしていた。

 錦糸町に着く前に快速と並走したが、乗り換えるのは無理とわかっていた。発車するのはこちらが先だったが、亀戸に止まる前に追い越された。小岩を出て江戸川の鉄橋を渡っていると次の快速が迫ってきた。ホームに止まったのはこちらが先である。

 自宅の賃貸マンションは駅から歩いて五分くらいだった。六階建ての四階で廊下が北向きである。すぐ近くを京成電鉄が走っていた。日用品の買い物は駅前のスーパーで済ませ、たまに錦糸町のデパートに行くという感じである。駅に近いから車を持つ必要性は全く感じなかった。

 引越しの準備は三月からで、福岡で住む場所の候補として大学周辺の賃貸住宅情報が送られていた。新築の物件が歩いて五分くらいのところにできるということでそこにしようかと妻は言った。スーパーマーケットにも近いが、最寄の地下鉄駅は北に一キロくらい離れていた。大学の近くを通る地下鉄の新しい路線は五年くらい先に完成するとも聞いた。

 

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