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2013年6月 2日 (日)

大阪感情線物語(31)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 午後の講義もひたすら忍耐だった。残暑で教室の中は暑かった。窓は全て開け放しているものの、太もものあたりが汗でじっとりしてくる感触は何とも不快である。それ以上に驚きなのは薮田先生といい、この先生も一日ぶっ通しの講義を行う体力だった。ときおり、椅子に腰はかけるものの、一時間半の立ち仕事を続けるのは大変なはずである。

 国際法の先生はまだ三十歳になったばかりの助教授だが、多くの先生は五十代である。もちろん立ち続けの先生が大半だが、中には椅子に腰を下ろして板書のときのみ立っているという先生もいた。大学院に残って研究者の道を行くとなるとこういう肉体労働もあるんだなとМは思った。大学院進学というのは選択肢になかったし、大学に残れるほど成績がいいというわけでもなかった。

 聞き手の疲労を察したのか、話に少しずつソ連に行った時のエピソードが増えていた。地下鉄のエスカレーターがやたらに早いとかウォッカのことなどである。井川がシベリア鉄道に乗る計画を話していたことを思い出したが、彼はマダ実行していなかった。横浜からナホトカまで船に乗り、一週間かけてモスクワ、レニングラードにも行ってフィンランドから帰るという内容だった。

 授業終了は午後四時である。Mは早速駅に向かった。大阪駅のターミナルビルにでも登って帰るつもりだが、他の女子と歩く木下さんと一定の距離をおきながら歩いた。踏み切りでは取り残されないようにタイミングを計るのに全神経を使った。

「高架にする計画はどうなっているんでしょうね」

 Мの様子を見て木下さんが振り向いた。

「JRの経営次第じゃないですか」

 二番線に電車が到着するという案内放送が聞こえた。こちらは通過電車を待つほうなので焦る必要はなかった。

「東京では新しい電車がドンドン作られているみたいですね」

「それでこちらにお下がりが来るのかも」

 阪和線はずっとお下がりが回ってくるところだった。相談部の先輩によるとつい十年ほど前には古いタイプがずい分走っていたそうである。

 改札をくぐって階段を下りていると一番線を電車が通過した。先頭車両はまだ座席に余裕があった。木下さんたちは進行方向右側、Мはその向かい側に腰を下ろした。

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