大阪感情線物語(40)
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A・B・Cのクラス毎に教員を前列にして集合写真を撮ってお開きとなった。次はどこに行くかでゼミ単位か相談部単位か迷ったが、結局相談部のほうに回った。鍵は木下さんがどうするかである。今村も同じだった。
Dホテルから梅田までは歩いて10分程度の距離である。時間は居酒屋とかには早すぎるくらいだった。憲法と民法の一部の者も合流して総勢は二十人を超えた。阪神百貨店の屋上ビアガーデンはまだ開く時期ではないし、結局酔い覚ましということで地下街の喫茶店で全員が入れそうなところを探すことになった。
「昭和最後の日はどこで迎えたんや」
今村が井原に尋ねた。彼は十二月半ばから一ヶ月ヨーロッパを放浪した。Mはドブロクニクのオレンジ色の屋根が並んだ絵葉書をもらった。日付は一月4日となっていた。
「ハンガリーで、8日に家へ電話したら 天皇死んだで と言われた」
昭和がいつ終わるか賭けをしていた者もいた。松の内が終わるあたりと言っていた者が勝ったのだが、とんでもない奴らだなと言われていた。
ようやく見つかった店でMはチョコレートパフェを頼んだ。クリームソーダの者もいれば、ホットコーヒーというのが半数である。勘定は先生二人がコーヒー分まで出したが、それより高いものは自己負担となった。
これで終わりにします 次は東京にあるシンクタンクから福岡の大学に転職した人をモデルにしたストーリーをc(>ω<)ゞ
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