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2013年6月 3日 (月)

大阪感情線物語(32)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 発車の直前に同じゼミのKが駆け込んできた。彼は座れないとわかると運転台の後ろに立った。とにかく「隠れ鉄道マニア」が多いから本屋に鉄道雑誌があるんだなとМは思っていた。彼は発表で九条を取り上げた。先生をはじめ、多数派は「自衛隊は九条二項のその他の戦力にあたる」と思っていて、彼の二項削除論は大いに議論が盛り上がった。

 憲法の条文の中で九条だけ「日本国民」と主語が明記されているのは1928年のパリ不戦条約の影響だろうという意見もあった。司法があまりに憲法判断に消極的なのは内閣との関係にあるとしてそこから改正論を唱える者もいて、彼も九条二項の削除で自衛隊を合憲にするのがいいと言った。

 天王寺に着くと木下さんたちがどのホームに移るかをさりげなく見ていた。一緒にいる女子が京阪線沿線からなのでループの内回りに向かった。何か言われたら「久しぶりに大阪城が見たくなった」と誤魔化せばよかった。オレンジ色の八両の後ろから三両目にみんな乗り込んだ。

 玉造で今村の母校の集団が乗り込んできた。白いシャツに紺のズボン、革靴という格好で中学に入ったばかりという者から来年には大学受験という感じの者まで様々である。中には竹刀を入れる袋を持っている者もいた。木下さんがさりげなく視線を走らせているのが気になった。

 大阪駅に着くと彼女は東海道線のホームに移動した。Мは中央改札を出て南側のターミナルビルに足を運んだ。展望エレベーターではなく、普通のエレベーターで27階の展望室に上がった。北側はいつもと同じように淀川が横たわり、何本もの橋がかかっていた。正面の市街地に隠れた大阪空港に向けてJ航空の747が高度を下げて行った。

 

 

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