大阪感情線物語(35)
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授業が始まる直前に剣道部の主将となっているS学園出身の者がスーツを着て現れた。彼も知り合いと就職活動の話をしていて「K電力」というのが聞こえた。「実業団でも強い」とか「そこに行ったらもう原子力反対なんて言えない」とか「それは自分が乗っている飛行機の翼に機関銃を撃つ行為」とかが耳に入った。
交通経済論の先生は学会の重鎮で、国鉄の分割・民営化の支持者だった。もともとはマルクス系なのだが、国鉄の組合のあまりの酷さに「右旋回」したと言われていた。授業の内容も日本の鉄道の歴史ということで、まずは官営による東京・横浜から入り、東北や山陽の民間による建設という話に進んだ。
先生が書いた「国有鉄道」というテキストは相談部の先輩からもらった。東海道新幹線が出来た年から赤字経営になったというのは絶頂期に落とし穴があるんだなと感じさせられた。赤字の原因としてはローカル線や貨物がニュースでもさんざん言われていたし、整備新幹線も建設費用と輸送需要のバランスで疑問がもたれていた。
東海道新幹線を引き継いだ東海の先行きは明るいのではないかと言われていたが、就職先としてはどうなのかという者も多かった。もっともJR自体がOC大には敷居が高いという感じである。Mは東海・西日本・貨物に資料請求をしてみたが、貨物だけがそこそこの資料を送ってきて「業界研究会」の案内もあった。
交通経済論が終わると図書館の閲覧室で過ごした。公務員試験の判断推理の問題演習をして午後四時には駅に向かった。正門を出るところで相談部の先輩に出くわした。この人は司法試験を目指すために留年していた。
「一次どうでした」
「論文に進めることになった」
司法試験はゴールデンウィークの頃にマーク式の一次、七月に論文、十月に面接という三段階だった。先輩は3年では一次で散り、四年では論文で涙を飲んだ。一次は憲法・民法・刑法で、二次は商法と刑事または民事の訴訟法、さらに二つの選択科目が加わった。
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