その先へ飛ぶこと(6)
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自席のパソコンを立ち上げてメールチェックをすると、神田明神側にある資料室に足を運んだ。ここが息抜きスペースのようなところであるが、OBや物流・交通の研究者が訪ねて来る事も多かった。書庫には昭和三十六年に研究所が設立されて以降に集められた資料が保管され、中には「ワトキンス調査団」の有名な報告書も眠っていた。
カウンターのすぐ前の雑誌や新聞の閲覧コーナーで、J大学の森岡教授が資料の抜書きをしていた。森岡教授はトモヒロが研究所に来たときの専務である。七十歳になってもマダ研究は続けていたが、最近、所内報に寄稿した文章が支離滅裂になっているのではないかと言われだした。
「なぁなあ、森岡先生の文章、何かよくわからなくなってない」
「うぅん、まさかアルツハイマー」
「日本最高レベルの頭脳だったのにねぇ。海軍兵学校の最後のクラス」
「だからアメリカとの戦争に負けたんです」
経済研究部のフロアで佐野と所内報編集の後輩がそんな会話をしていたら、いつの間にか森岡先生がヌーと現れていたこともあった。
「ご無沙汰をしております」
「ああ、お久しぶり。頑張っているかね」
「はい。福岡の仕事でいろいろと」
まだN大学に四月から移るとは言わなかった。三月にマタ顔を合わせる機会があればそのときでいいかなと思っていた。
「上海や釜山が近くなれば、国際物流の研究にもいいよねぇ」
トモヒロの頭から ? マークが噴出した。もしかしたら何かのルートで漏れたのかなと思ったが、口には出さなかった。
「今年の大会は海洋大だから、博多港のことでもやってみたらどうかな」
「鉄道や高速道路との連携もいいですから、そのあたりで」
トモヒロは一礼して資料室を出た。海洋大は元商船大で、船員の養成のみならず、物流の研究にも力を入れていた。
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