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2013年6月24日 (月)

その先へ飛ぶこと(13)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 真夏の日差しが福岡の街に降り注いでいる。トモヒロは妻・娘と博多駅に向かうバスを待っていた。5月の連休のときは高速道路の渋滞でバスはこりごりという心境になったため、盆の休みはJRにしようとなった。博多から熊本・武蔵塚までの往復自由席特急利用のできる切符を使ってもバスより割高だが、時間通りというのは精神的によかった。あとは座席に座れるかどうかである。

 路線バスは最初座れなかったが、天神で多くの人が降りたので座ることができた。高速バスはここから九州各地へ出ていた。天神と博多駅の中間には「キャナルシティ」というショッピングや映画を楽しむスポットが出来て、六月にここを訪れた。博多駅に到着したのは正午前だった。昼食は地下街で済ませた。研究所時代にここは出張で訪れた場所である。「鶏の丼」が気に入ったという同行者もいた。

 鹿児島まで行く「つばめ」は新幹線からの乗り継ぎも多いので、「有明」の自由席に並んだ。こちらは熊本から豊肥線に入って武蔵塚まで行くのでちょうどよかった。メタリックに塗られ、フランスの新幹線を思わせるような「つばめ」は立ち客も出る状態で発車して行った。「有明」はステンレスに赤いラインの入った車体で、ドアがなぜか車体の中央にあるという変わった作りである。先頭車両は前半分がグリーンで、後ろが指定席、トモヒロたちが並んでいた四号車はどちらも自由席になっていた。

 娘は左の窓側で妻はその隣、トモヒロは右の窓側に一人で腰掛けた。隣に大学生と思われる若者が座った。車内は席が全て埋まり、立つ人はドアのところに固まった。二日市・鳥栖と停車して何人か降りた。久留米では横の若者も出て行って。立ち客はいなくなり、シートも二つほど空いた。大牟田を出てしばらく行くと列車は有明海のそばを走った。海は銀色に輝き、遠くには雲仙の山がかすんだ。

 熊本から豊肥線に入ると「有明」は普通列車と同じになった。クラブ活動をしていた高校生が乗り込んだりしたが、座席は十分座れる状態である。武蔵塚で降りると妻の両親が駅前で車を止めて待っていた。家は駅から五百メートルくらいだが、やはり歩くのに比べると楽だった。

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