その先へ飛ぶこと(16)
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博多に戻ることになって水前寺から「有明」に乗り込んだ。今度は運転席のすぐ後ろが自由席になるが、既に始発の武蔵塚から乗り込んだ人が一番前に座っていた。熊本までは席に余裕があったが、熊本に着くとさすがにいっぱいになった。
妻と娘は右側に並んで座り、トモヒロは左の窓側に腰を下ろした。スピードメーターは見えないが最高速度は130キロである。学会の発表も決まり、十一月の九州部会は貨物駅の見学会をするために調整をしているところだった。就職対策委員会の活動で福岡周辺のいくつかの企業を訪問して今の三年生向けの求人がどうなるかをさぐった。
鳥栖駅の東側には赤い電気機関車にひかれたコンテナ列車が止まっていた。ここで長崎本線の鍋島か鹿児島に分かれるようになっていた。関門トンネルを抜けて九州に入ったところにも貨物駅が新しく出来てこちらは大分に分かれた。鳥栖は高速道路が東西南北にクロスする拠点で車窓からも倉庫などがよく見えた。
鳥栖から二日市にかけては田園風景が残っているが、二日市から北は住宅が並んでいる状態だった。大学の近辺は古くからの宅地だが、このあたりは新しく作られたという感じである。学生を取り込むにはある程度の人口が重要で、そうでないと留学生の確保に走らざるを得なくなるというのはオープンキャンパスのあとで入試を担当する委員からの話だった。
博多駅に到着するとバスは疲れるので、タクシーに乗り込んだ。妻と娘は後ろ、トモヒロは運転手の横である。「城南区の荒江まで」と言うと201番のバスと同じルートで走り出した。
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