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2013年6月23日 (日)

その先へ飛ぶこと(12)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 研究室に戻ったのは午後三時である。午後九時から午後5時までは教員もキャンパス内にいることが義務になっていた。授業のない日も同様で、学会に出席するなら「出張届」自宅や学外で研究活動をするなら「研修願」を出すように就業規則で定められた。

 九月に予定されている物流学会と10月の交通学会はともに東京だった。物流学会については九州部会が七月と十一月に行われるようになっていた。トモヒロは9月の学会に鉄道貨物に関する報告をしようと計画していた。

 研究所時代には物流学会で2回、フェリーと鉄道貨物を、交通学会でもシベリア鉄道の現況という発表を行った。講師から助教授に昇進するにはあと二つ研究論文を書きましょうと学部長から言われた。

 連休は妻と娘だけ熊本に帰るということになった。妻の実家は武蔵丘で高速バスのバス停に近かった。車の免許は二人とも持っているが、車を持たない生活は続いていた。トモヒロの実家は水前寺のそばである。両方の実家はJR豊肥線で行き来できるので本当に車の必要性は感じられなかった。

 福岡に来て休日に家族を連れて行った場所は天神、福岡タワー、太宰府天満宮である。いずれも公共の交通機関でアクセスできた。まだまだ見る場所はいくらでもあるなと思ったが、娘が自分の故郷をどこと思うのだろうかという心配もあった。生まれた場所は千葉県市川市であるが、たぶん記憶にはあまり残らないのかもしれなかった。

 研究室には午後7時前までいた。東京にいるときに比べると外が暗くなるのが遅いというのが最初の印象だった。

 

 

 

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