その先へ飛ぶこと(4)
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下半期が始まったということで、いくつかの案件についてのミーティングが行われた。トモヒロは物流技術部が引き受けたトラックの安全に関するテーマに関わることになった。物流技術部長の渡瀬常務はN通運に入ったときの上司だった。産業廃棄物運搬とか国際海上コンテナといった「理系的」なテーマで声をかけてもらっていた。
物流技術関係では航空コンテナの冷蔵装置の開発もあったが、これは全く関わることがなかった。コンテナがくびれている特長を利用してデッドスペースに装置を入れる開発は一年後輩が作業の中心となった。彼もN大の理工学部でシステム工学で修士号を取っていた。
退職をどのタイミングで表明するかは一番の問題だった。就業規則では退職願は予定日の二ヶ月前となっていた。日付は一月末ということになるが、大学に転身するということを内々に表明するのはもう少し前になるかなと思った。定年退職した先輩たちは退職後の見の振り方を半年くらい前に明らかにしていたりしたが、少し早いのかなと思った。
妻は同じ熊本の出身で、実家に近くなるということで今度の正月が最後の帰省と告げていた。帰省は「のぞみ」と「つばめ」の乗り継ぎで片道八時間近くかかった。仕事では飛行機を使うが、どういうわけか熊本の仕事はなく、福岡ということが多かった。
物流技術部の案件は一スタッフとしてだが、日韓コンテナ輸送と博多港の調査はサブリーダとなっていた。上半期には本社から鉄道貨物に関する受託でリーダーを務めたが、下半期にはリーダーというものはなかった。日韓コンテナ輸送は鉄道が関わっているが、こちらは酒井がリーダーである。
日韓コンテナと博多港は競合関係である。関東や関西から下関まではJR、フェリーで釜山ということだが、博多港も釜山へのフェリー航路を持っていた。鉄道利用の場合に下関が有利なのは関門トンネルを通らなくてよいということだった。博多港では人工島の整備が進んでいて、それは福岡空港に着陸する飛行機の窓からもよく見えた。
スタッフという形で手伝う案件は四つあり、港湾のことと本社の営業に関わることである。ヒアリングを手伝ったりするものの、レポートを自分で書く作業が必要なのは日韓コンテナと博多港だった。
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