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2013年6月 5日 (水)

大阪感情線物語(34)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

「公務員試験は神戸市だけか」

「国家二種も受けるよ」

 一種も受けたが、手ごたえは厳しかった。ここ数年の就職先を見ていると近畿運輸局というケースが多かった。それは二種での採用である。

「自衛隊の幹部候補生受けている奴もいるみたいやな。警察とか受けへんのか」

 今村は防衛大学校を受けて一次は合格したが、二次試験は辞退した。共通一次前の力試しという者はK高でもいたが、いい顔をしない教師もいてやはり憲法違反の存在なんだなと思わされた。

「剣道関係だとそれだけの実績ないとね」

 長居で通過待ちをしたので、杉本町は本線側に入った。改札を出ると依然として残っている「ハンバーガー店反対」の看板が目に入った。そのハンバーガー店は旅行代理店に衣替えしたが、大学の生協のほうが便利だった。

 

 大学に着くと経済学部の事務室前に行った。今村も交通経済論の受講届けは出していたので同行した。休講になっていないことがわかると食堂に向かった。370円の定食にしたら井原が現れた。彼はグレーのスーツに黄色と黒のストライプネクタイをしていた。

「そのネクタイ派手過ぎやせんか」

 今村の問いに彼は「スーツが地味だから」と応じた。午後には本町にある商社を尋ねるということだった。地下鉄御堂筋線を利用する彼にとっては梅田から難波にかけてのラインは自由自在である。

 井原はいろんな業界を回っているが、本命は運輸関係のようだった。JRはOC大に冷たいけど、私鉄は行けるかもしれないと彼は言った。生命保険だったら相談部での「J航空事故」の経験から万一の保障の重要性を痛感したというのが志望動機になるかなと今村にアドバイスした。

「何をやりたいかはどうなんや。生保って結局は保険を集めるのが中心だろ」

「大きい所の資産運用はヤッパリ有名大の経済系じゃないの。銀行の外国為替とかも」

「世界の市場なんて二十四時間回っているから眠れないだろうな」

 正午になってレジには長い列が出来た。食事が済むとМは交通経済論のある教室に向かい、今村は図書館に井原は地下鉄の我孫子駅とばらばらになった。交通経済論は受講者が多いので経済学部棟で一番大きな二百五十人入れる教室が使われていた。授業が始まるまでMは日本史の参考書を開いた。

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