大阪感情線物語(10)
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夏休みの最中に起きたJ航空のジャンボ機墜落事故は法律相談部にも早速案件として持ち込まれた。九月の前期試験で久しぶりに大学に行くとМは民法ゼミで剣道部の四年生から「三大学戦の助っ人」を頼まれた。OC大はМの家のそばにあるK大、東京のH大と並んで旧商科大学として経済界に多くの人材を送り出していた。法律相談部も三大学合同の研究発表をやることになっていて今年の当番はOCである。
Мはまず道場で大学用の竹刀を使った素振りから再開した。それから家での木刀での素振りも増やし、大学では垂れと胴と竹刀を借りるというようにして慣らすようにした。三大学戦の剣道は十一月の末ということで、母校でも稽古させてもらったりした。そのときは高校まで使った竹刀でやり、初対面となる一年生にはまだまだ負けないという自信を持った。二年生には出小手や抜き胴を奪われたりしたが、面は与えなかった。
阪神のリーグ優勝、さらに日本シリーズの優勝では梅田駅で発売された記念乗車券の列に並んだ。大学祭がちょうど日本シリーズのときで、その瞬間には教養部のキャンパスでCクラスのテントでクレープを作っていた。大阪の街には「六甲おろし」のメロディーが吹き荒れて阪神百貨店のセールスにも顔を出した。
教養部の正門にいる「番人」の存在のせいか、入学試験が行われたのは難波にある予備校だった。三大学戦も野球は住之江にある球場、サッカーは長居スタジアムという具合に学外で行われた。剣道の会場は住吉大社にある武道館ということになった。竹刀は借りることにして他は防具袋に入れて家から持参した。
大阪駅からループの内回りで新今宮まで行くのはいつもと同じだった。最後尾の車両が乗り換えに便利なのも同じである。新今宮では国鉄の線路の西に南海が直角に交わっていて南海が国鉄の線路をまたいでいた。和歌山に向かう路線と高野山に向かう路線があり、住吉大社の最寄り駅は和歌山への路線である。普通しか止まらないのでМは急行をやり過ごした。
並走していた高野山方面が左手に離れ、電車は高架に上がった。急行が普通を追い抜きやすいように線路が四本もあるのは阪急よりも恵まれた設備である。住吉大社の駅は通過用のホームに朱色のポールと鎖がつけられていた。電車の後方から降りてきたKかHの軍団が竹刀袋を持たないМに奇異な視線を投げてきた。
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