下り坂(146)
前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m
車座での話は平成六年卒業で新聞社にいる者の番になった。被災地の取材に応援で派遣されて現地では「匂いがすさまじかった」と言った。匂いは映像でも文章でも伝えることは無理だなと哲也は心の中で呟いた。同期にはT電力の者もいると触れていた。
哲也と同期は市役所に勤務していて、釜石に派遣された人もいるということを言った。さらに哲也が一年のときだった担任の先生は彼の三年のときの担任でそのことにも触れた。大学四年の中には二人教職につく者がいて、そのように慕われるようになれという意味合いがあると哲也は感じた。
哲也自身は会社名は伏せた。背面飛行事件があったりして787で浮かれている状態ではないような気がしたからである。単に「日々新たな気持ちで取り組むこと」と締めくくった。年を取ると話が長くなってしまうという流れもここで止めて置こうというのもあった。
「岡部の剣風は昔と変わらないね」
帰り際に話しかけてきた同期は防具をつけずに見ていただけである。震災の影響で業務が増え、剣道に復帰しようと思っていたものの、遠ざかってしまった。彼の子供はF中に入って剣道を始めたそうである。
「あまり動けなくなったけど」
「胴をバッサリ切るのは芸術の域に達しているんじゃない。だって今の奴は全国狙えるレベルだよなぁ」
「まあ、気持ちでは彼らが影も形もないときからやっているんだということで」
哲也は苦笑した。親子ほどの年の差ということはブログを訪れる人たちのプロフィールからも明らかである。哲也と同じ学年だった人は長男が大学に入ったということも書いていた。
一月二日は両親や妹の家族と門司港のレトロ地区に行った。Q電力も震災のあとは原子力発電所が一つまた一つと定期点検に入って再起動ができない状態になっていた。そうなると火力発電のほうに負荷がかかった。義弟の勤務先は本社の経理部で、燃料コストの上昇を否応無く感じさせられていた。小倉には天然ガスの火力60万キロワットが三基あるが、他にS製鉄との共同の火力もやっていた。さらに限界原発の近くにはJパワーが石炭火力で100万キロワットを二基持っていて電力を購入しているそうである。関門海峡には本州との送電線があって融通しあうのに使っていた。
| 固定リンク
コメント