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2013年5月 7日 (火)

大阪感情線物語(4)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 2時間目の法学入門は文系地区にある一号館で行われた。この建物が大学の中心になっていて正門からはソテツの並んだ芝生越しに時計台が見えるという配置である。これも昭和の初期に作られたため、天井が高くなっていた。壁の汚れが教養部ほどでないのは学長や来客を意識してのようだった。

 法学部は一学年百五十人で、全員が入れる教室を使っていた。窓のすぐ外は図書館の書庫の白い壁が立ちふさがっていた。教養部と同様、時折上空を通り過ぎるジェット機の音が耳に入った。南西方向から大阪空港を降りる飛行機はキャンパスの上を通って八尾の上空で北西に向きを変えるルートである。

 昼食は一号館の隣にある生協の食堂だった。教養部の食堂は天井が低くて薄暗く、こちらは天井が高くて南側がガラス張りになっていて明るかった。Мは明るいほうの食堂に来て教養部に戻るようになり出した。法律相談部で一緒の今村の他、数人でレジに並んだ。ご飯と味噌汁に大皿と小皿のコープ定食が370円、小皿のないのがB定職320円、少しリッチなA定食が420円、カツ丼400円、カレー290円という具合だった。Mはコープ定食を選んだ。

 空いた席の近くに黒い竹刀袋が並んでいるのに気づいたMは少し間を空けた。今村は袋の側に座り、その向かい側は十三の近くにあるK高から来た木下さんである。彼女の家は国鉄塚本駅の近くにあり、大阪駅でループ線と東海道の各駅停車に乗り継ぐルートである。

「中学・高校と体育で剣道があったけど、面と小手の匂いがすごかったなぁ」

 今村がおもむろに言った。防具袋の持ち主がいないのでМは安堵した。

「今村さんは段とか持ってられるんですか」

 木下さんが応じると彼は体育の授業だけと応えた。持ち主の二人組みが定食のトレイを置いて椅子に腰を下ろした。

「木下さんは剣道やっている男ってどう思いますか」

 今村め余計なことを言わなくてよろしいと思いながらМは箸を動かしていた。二人組みの耳がピクリと動いたような気がした。

「凜としてていいと思います」

 Мは無表情を装った。二人組みの会話には西日本大会とか福岡とかが入っていた。

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