下り坂(147)
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東京に帰るS航空の便は午後四時過ぎの出発である。隣にはJ航空の737が到着して真っ赤な垂直尾翼でS航空の黒い機体と対象をなした。J航空は五往復全てが737である。哲也は左主翼の少し後ろの窓側に腰を下ろした。機内でインターネットが出来るようにするというサービスは未だに始まっていなかった。
北向きに離陸するとすぐに新門司のフェリーターミナルが見えた。それから右に旋回するので関門海峡を見られる時間はあまりなかった。宇部の空港が目に入り、松山沖に向けて上昇が続いた。787はまず東京と岡山・広島に入った。この二路線が東海道・山陽新幹線を意識しているのは明らかだった。
二月からは宇部にも飛ぶようになり、羽田とフランクフルトを結ぶ新路線もスタートである。S航空も夏には北九州と釜山を結ぶ初めての国際線を運航する予定だった。羽田と福岡を前年の夏に飛ばし始めたが、こちらは競合する関係である。機内サービスが回ってきて哲也はアップルジュースを頼んだ。
駿河湾の上空から富士山が見えた。高度が下がって伊豆大島、君津のS製鉄、横浜の街並みを見ながら羽田の一番陸に近い滑走路に下りた。古いターミナルの跡地には国際線ターミナルができて、欧米は早朝・深夜、中国と勧告には昼間という具合に飛ぶようになった。S航空は国内第一ターミナルの端に到着した。哲也は長い通路を歩いてK急行の駅に向かった。
品川に着くと山手線の外回りに乗り換えた。品川にも新幹線の駅が出来て飛行機とのトータルした所要時間の差はさらに縮まった。哲也自身、大阪出張は新幹線だった。岡山や広島はその機会がないが、新幹線のほうが早いという感じである。微妙なのは宇部だった。こちらはマダ出張する機会は残っていた。
豪徳寺の家のドアを開けると建物独特のにおいが鼻をついた。「本当は幼い女の子にしか興味ナインだろ」と騒動になったS剣友会との関係をどうしようかと思い続けていたが、地盤がしっかりしているという点では現状維持なのかなと思ったりした。新浦安に住む人は液状化の影響を受け、品川から蒲田にかけてのベイエリアも同じ心配があった。
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