大阪感情線物語(22)
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天王寺に出て外回りで一駅の新今宮で南海に乗り換えた。本線ではなく、高野線の各駅停車に乗ってみた。本線のほうは難波まで駅はなかったが、高野線には今宮戎という駅があった。停車している間に本線を追い抜いて行った電車の乗客の顔が得意そうに見えた。
ロケット広場ではМたち以外にも待ち合わせをしているグループがいくつかあった。同じ大学なのか別の大学かはわからなかった。高校までと違い同じ学校という一体感は全くなかった。
クラス50人のうち集まったのは40人である。二年になってから大学に来なくなったというのが2人、あとは他の予定が入っているということだった。相談部の忘年会は土曜日ということになっていた。
ボウリング場は難波駅の南にあるホークスのホームグランド大阪球場のさらに南にあった。横に三十レーンがあり、10レーンを予約していた。団体戦ということはなく、個人で最多得点、最少得点、といった具合に賞が決められた。
「ゼミの希望はどうした」
同じレーンを使うことになった者同士でそういう話題から始まった。Mは第一希望を憲法、第二希望を行政法とした。それは公務員試験を意識したからである。ゼミの中で人気の高いのは国際政治論でシミュレーションゲームをしていた。アメリカチーム、ソ連チーム、などが組まれ、いろいろと事件を起こす黒幕チームなるものまであった。
「刑法の中川先生は学会で有名だそうだね」
「少数派説のほうだけど、滝川先生の最後の弟子だって」
「ヨーロッパ政治史の山田先生はナチスの研究で世界的に認められているそうだよ」
「へぇぇ、うちの大学の先生は日本最高レベルっていうけど」
「学生は・・・だよねぇ。数学さえ出来たら俺だってK都大行けた」
一回目のМの得点は何とか100に行った。八・九本倒れたのばかり続いて一回だけストライクが出た。他の三人は95、117、107である。
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