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2013年5月 5日 (日)

大阪感情線物語

大阪にある大学に入った主人公の日常を描いたものですヾ(´ε`*)ゝ

 阪急六甲駅の梅田行きホームでМは急行を待っていた。駅を通過する本線から分かれた線路にそれぞれの方向のホームがある形である。神戸方面に向かうチョコレート色の八両の特急が通過した。この駅は昼間は普通とラッシュ時のみに運転される急行が止まった。急行は西宮北口まで各駅停車となっていた。

 Мの家は六甲駅の近くにある内科医院だった。四つ年上の兄はN中・N高を経てK大学医学部に入り、京都に下宿していた。МはN中の入試に失敗して公立中に行き、県立のK高から大阪市の南部にある公立のOC大学に進んだ。学部は法学部である。数学が得意でなく、家から歩いてすぐのKB大学は断念した。

 小学校のときから剣道を習っていたМは中学・高校でも続けた。高三のインターハイ予選では個人であと一つ勝てば県大会だった。団体は大将として臨み、H学園に敗れた。敗戦が決まった状態だったが、Мは相手の大将から胴を二本奪って一矢報いた。その大将が個人でインターハイを制覇し、団体も含めて負けたのはMとの試合だけだったと聞かされたが、そのときにはもう大学入試のことで頭がいっぱいだった。

 入ってきた急行は座ることができる状態である。ドアとドアの間に腰を下ろしたМはショルダーバッグに入れた「法学入門」を取り出した。金曜日の一時間目は社会学、二時間目が一年生向けの法学、午後は空き時間である。Мは大学では剣道から離れて法律の勉強に力を入れようと思い、「法律相談部」に入った。その活動は金曜日の五時間目だった。

 駅に止まるたびに車内は人が増えた。会社員から学生まで様々な年代の男女の気配を感じながらМは教科書に目を走らせた。語学は英語と中国語を選び、人文・自然・社会・体育と時間割をほぼ埋めるようにしていた。必修というのが設定されていないため、どの先生が単位を取りやすいかが受講届けを出すまでの関心事だった。

 西宮北口を出ると塚口、十三と停車駅が限られた。塚口から分岐する伊丹線の沿線には相談部で一緒になった今村が住んでいた。彼は中・高と大阪のМ学園にいて阪急と国鉄の通学をしていた。同じ電車かどうかわからないのでМはずっと教科書を見ていた。十三は宝塚や京都からの路線も合流する場所である。もしO大学だったらここで乗り換えのはずだった。

 十三を出ると淀川の鉄橋にかかった。京都線は一段高い橋桁で、神戸・宝塚は同じ高さ、神戸が一番下流側である。六本の線路が並ぶのは壮観で、梅田から毎時ジャストと30分に神戸と京都の特急、宝塚の急行が同時発車するという見せ場があった。自分の乗っている電車が先頭を行くときはМの得意技の「抜き胴」が決まった爽快感があった。

 中津という駅は神戸・宝塚にだけホームがあって普通だけの停車である。ドアは開かないが、梅田駅のホームが詰まっているためか電車は停止していた。梅田駅は三つの路線の三本ずつの電車が入れるようになっていて行き止まり式である。到着すると一番前から長いエスカレーターで下に降りて、国鉄のガードの下をくぐる動く歩道に乗った。この歩道はみんな歩いていて立ち止まり禁止という雰囲気である。

 

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