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2013年5月20日 (月)

大阪感情線物語(19)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 アルバイト先の予備校はデパートの隣にあった。四階建てのビルで教室は道路に面していた。平日は英語・数学・国語などの講義が行われ、休日は模擬試験である。時には英検や他の資格試験も行われた。三人がけの席が横に四つ、縦に十五並んだ教室に100人くらいの浪人生が入った。

 事務室で英語の問題と解答用紙を受け取るともう一人の試験監督と教室に向かった。こちらはこの予備校の職員である。受験生の中には前の年にも見かけた者がいたが、Мは気づかないふりをして用紙を配った。試験中は職員のほうが黒板側、Мは後ろの出入り口脇のパイプ椅子に腰を下ろした。

 ときどき受験生の間を回るように指示を受け、その際は足音に気をつけるようにと言われた。この予備校は関西一円の国公立を目指す者が大半で、OC大にも毎年十五人程度来ていた。もっと難易度の高いところではO大へ十人前後が入った。

 英語の後は国語、社会が行われた。理科系を目指す者は教室から出て行った。それで人数は50人くらいになっていた。現役時代、Мは国公立の他に私立ではK学院とK西大学を受けた。どちらも阪急の沿線ということが決め手である。学部は法学部と経済学部という具合だった。

 試験が終わると、アルバイト代を受け取って家路に着いた。試験時間は三教科合わせて約五時間、それで6000円だった。あとは交通費として1000円がプラスされた。昼食は弁当が出された。

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