大阪感情線物語(24)
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中華料理店での忘年会が終わったのは午後十時過ぎである。そのあとはバラバラになった。大学の周辺に下宿している者は地下鉄御堂筋線、奈良方面は近鉄、もちろん南海の沿線は難波駅である。Мも御堂筋線の難波駅に向かう一人だった。
大学周辺の者は我孫子行きに乗った。新年度になると我孫子から南海高野線の中百舌鳥まで延伸して大学の東に広がる地下鉄の車庫も移転すると聞いた。アベレージ三位の賞品を持つYは御堂筋線から北大阪急行に乗り入れた終点の千里中央の近くから通っていて「帰りは座れなくなるかもしれないなぁ」と言っていた。
梅田方面に向かう電車は梅田の次の中津止まりである。御堂筋線は千里中央と我孫子を往復する電車と中津・天王寺の区間運転の二種類だった。Yも他の者に合わせて乗り込んだ。到着した電車は空いていたが、難波駅を出るときには席はすべて埋まり、ドア周辺に立つ人も多かった。
「単位は揃えられそうか」
Мの隣に座ったWが尋ねてきた。彼は国鉄の西宮駅近くに住んでいた。中学・高校はS学園で野球をやり、大学でもやっていた。
「中国語が一つ心配だけど」
「語学は何とかなりそうやけど、自然がやばいかも」
彼の選択は英語とフランス語である。専門への進級は語学を落とさなければ認められた。医学部だけは教養部で行われる授業は全て揃えるのが条件になっていた。理由は医学部のキャンパスが天王寺にあって移動が難しいということである。
「自然はいくつ取れた」
「生物だけ、今年は科学史と地学と化学を入れたけど」
「地学の先生は地震の研究が専門やからそこにヤマ張るのがいいかも」
「うぅん、あまり自信ないけど」
梅田に着くと乗客はかなり入れ替わった。ドア際に立っていたYはシートに腰を下ろした。
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