« 東日本大震災(1915) | トップページ | 東日本大震災(1916) »

2013年5月13日 (月)

大阪感情線物語(11)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 住吉大社の敷地に入ると反橋があるが、ここは迂回して武道館に向かった。OC大のチームと合流して更衣室で着替えた。男子は十五人、女子は七人である。女子は九人いたが、男子は一人足りなかった。МはゼッケンのK高の部分に白字に黒のペンで「OC大」と書いたシールを貼ってもらった。

 一年の男子はS高出身と和歌山のT高卒業の二人だけだった。練習試合もさせてもらってずんぐりした体型のS出身の者には出小手二本を取られたが、T高卒の者には長身からの面に対して胴を返してそのまま一本勝ちした。

「あら、Мさんっていつから剣道部に」

 道場で準備体操をしていると木下さんに出くわした。法律相談部の先輩女子も来ていて「凛々しいですねぇ」と言われた。

「メンバーが足りないからということで頼まれたんです」

 高校まで剣道部だったことや二段ということは一言も言わなかった。今村が「Мに不意打ちかけたら胴をズバッとやられそうな気がすると」言ったときもポーカーフェイスを装った。

 三校の選手が整列して剣道部顧問の文学部教授と住吉区の剣道連盟会長が祝辞を述べた。それからOC大の卒業生で七段と六段の人が剣道形を披露した。道場はコート一つでまず女子からだった。試合時間は五分と高校よりも一分長くなった。先に女子の部をやり、午後から男子となった。

 女子はH大対K大は五勝二敗でK大の勝ち、H大対OC大は三勝二敗二引き分けでOC大が勝った。OC大はK大に一勝四敗二引き分けである。

「K大強いですねぇ」

 木下さんがそう言うとМは「阪急の駅からキャンパスまで一キロの上り坂ですから」と応じた。OCもHもキャンパスは駅のすぐ横でしかも平坦な地形である。どの競技でも一番強いのはK大だった。

 昼食は用意された弁当だった。木下さんたちはサンドイッチを持ってきていて午後の試合も見ることにしていた。Мは一体誰の応援なんだろうと思ったがわからなかった。二人の共通点はK野高校で、もしかしたらK大を応援しているような気がした。

|

« 東日本大震災(1915) | トップページ | 東日本大震災(1916) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大阪感情線物語(11):

« 東日本大震災(1915) | トップページ | 東日本大震災(1916) »