大阪感情線物語(27)
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ゼミの行われる教室は時計塔のすぐ脇だった。3階まではエレベーターも設置されているが、それは車椅子の人のためだけという条件である。昭和初期から変わらない階段を登って北側の景色が見られる部屋だった。一番奥に先生が座ってその横に移動式の黒板があった。部屋の両側の壁を背にして八人ずつ座るという形なので、ゼミの定員も十六人となっていた。南側にもゼミ用の教室があってやはり定員は十六人から二十人である。
どういう形でゼミをやるかということだが、憲法に関する判例を調べて各自の考えを述べるというやり方である。一番最初は木下さんになった。どんな事件を取り上げるかで、憲法十四条の平等と民法七百三十三条の女性のみ六ヶ月の再婚禁止という条文の関係ということになった。今だと血液の鑑定で誰の子供かわかるのにというようなことを相談部の先輩が言っていた。
職業選択とか表現の自由といった様々な判例を取り上げていくことになり、Мは六月の最初に報道の自由ということで外交機密を新聞記者が肉体関係を利用して漏洩させたという事件をやりますと言った。夏にはどこかでゼミ合宿を行い、そのときは三・四年合同ということになっていた。前年は城崎で、その前の年は白浜だった。
「ところで、皆さんは進路をどうするのですか」
先生の問いに半数が公務員と答えた。木下さんも公務員とした一人である。司法試験も考えているのが一人で大学院まで念頭に入れていた。
恒例のソフトボール大会もゼミとして出るということになった。一回戦負けしても相談部が残ればそっちにも出ることになりそうだった。
ゼミは予定よりも10分早く終了した。特に大学にいる必要もないので、Мは杉本町駅に向かった。木下さんを含めて五人が同じように歩いた。堺に住むOだけは電車が反対方向である。彼はМヶ丘高の出身で、堺市役所に入ることを考えていた。
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