大阪感情線物語(5)
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入学して二ヶ月が過ぎて「法学部ソフトボール大会」という行事が行われた。水曜日は学部の語学・法律の共通科目・ゼミがあるということで、日程が入れやすかったからである。一学年百五十人は五十音順に三つのクラスに分けられていた。МはCクラスだった。前の週の土曜日に長居公園で各自のキャッチボールや守備力・打力を見極めて、ポジションが決められた。Мは「サードで四番」となった。今年は好調なタイガースの顔と同じということで多少のプレッシャーがあった。
杉本町駅を降りると南側の踏み切りを渡った。こちらは市営バスも通るメインストリートである。踏み切りを渡ってすぐそばの門から入ると小豆色をした記念館があった。ここはメタセコイアの木に囲まれ、少しリッチな食堂も備えられていた。経済学部の研究棟の前でМは強い便意を感じた。昭和四十年代に作られたと思われる研究棟のトイレは教養部や一号館に比べると明るかった。和式二つに洋式一つ、仕切りの下が空いていて和式の後ろ側がふさがっているのは気になったが、洋式で誰の尻が触れたか分からない便座よりも足腰のトレーニングにもなるスクワットに飛び込んだ。
腹の調子を悪くしていたわけでもなく、いつもより直径のある一本の塊が水溜りの後ろから前に一直線に横たわり、真ん中で折れた。まだ残りがある感じがしてМは腹に力を入れた。仕切りの後ろでパタパタと周期的な音と激しい鼻息が聞こえた。残っていたピンポン玉のような塊が折れた部分の少し後ろに落ちて船体が割れた潜水艦のような感じになった。水を流してもびくともせず、Мはこっそりドアを開けて急いで手を洗って研究棟を出た。
一号館の南には野球場があり、ポプラ並木をはさんで西にラグビー場があった。ラグビー場の横を阪和線の電車が走り、キャンパスの南を流れる大和川にかかる鉄橋を轟音をたてて渡った。野球場には高さ五メートルのスタンドがあってこの前に出場する十六チームが整列した。一・二年のクラスから一チームずつ、それに法律相談部と法学研究会、民法ゼミ、刑法ゼミ、三年生有志、政治系ゼミ連合だった。
優勝したチームには缶ビール十ダース、準優勝は五ダースという商品があると実行委員長が言った。野球場とラグビー場で四試合を一斉に行い、試合は5回まで、二十点差がついた時点でコールド、女子選手一人でハンディ二点というルールも説明された。一年Cチームの最初の相手は民法ゼミである。向こうには女子二人ということで四点のハンディが与えられた。
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