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2013年5月10日 (金)

大阪感情線物語(7)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 二年Aクラスとの試合は向こうに女子一人、こちらも法学研究会から戻ってきた女子が加わってハンディは同じだった。中学・高校と陸上部にいた彼女はセカンドに入った。今度はМたちが後攻めである。一回表は三遊間を抜けるヒットがあってランナー二・三塁のピンチを迎えたが、ファーストゴロで切り抜けた。

 裏の攻撃は三者凡退だった。二回表もランナー二塁のピンチだったが、センターフライでしのいだ。Мが打球を処理する場面はまだだった。先頭バッターになったМは二球目をセンター前に落とした。それが後方に逸れたので二塁まで一気に走った。次の打者がレフト線ぎりぎりの当たりを放ち、Мは本塁まで駆け抜けた。

 三回表は三塁フライ、空振り三振、ピッチャーゴロで三者凡退となった。裏の攻撃は八番の女子からでショートゴロだったのが、ファーストのミスでランナーが出た。九番はピッチャーのグラブに当たる内野安打でチャンスを広げ、三振でワンアウトになったあとは一・二塁間を抜けるヒット、満塁で三番はデッドボールを受けた。

 一点先行したのでМは外野フライでもいいかと思ってボックスに立った。鋭くミートさせるように打つとレフトの頭上を超えた。ボールがなかなか戻ってこないので二本目のホームランになった。その後はМが三塁線の当たりを内野安打にしたのがあったが、相手に得点を与えずに終わることができた。

 次の相手は二年Bクラスである。どちらも女子は抜けてハンディなしの勝負となった。準決勝もう一つの試合は一年A対一年Bだった。今度も後攻めになった。いきなり三塁のファウルフライがあり、その後ツーアウトからセンターオーバーの三塁打、レフト前のヒットで一点先取された。

 一回裏はワンアウト一・三塁でМに打順が来た。やはりミートを心がけて左中間に飛ばし、同点に追いついて二・三塁とした。次のバッターは三遊間を破った。Мは思い切って本塁に突入して二点差にした。相手の守備が乱れてもう一点追加することができた。二回表はツーアウトからソロホームランを浴びた。

 二回裏もМの前で攻撃が終わった。三回表にはワンアウトから三塁線を破られて三塁打となり、犠牲フライで一点差に迫られた。先頭となったМはファーストの頭上を抜ける当たりを放った。ライトが追いつくのに手間取ったので三本目のホームランをゲットした。そのあと二塁打が出てセカンドゴロ、犠牲フライで一点追加できた。

 4回表もランナーを出したが、無失点で切り抜けた。その裏はワンアウト満塁でМの打席だった。今度は思い切って引っ張ったらサードの正面だった。本塁への送球がそれてまた一点加わった。あとは凡退で最終回に入った。ノーアウトで一・二塁というピンチになったものの、連続三振とセンターフライで終了した。

「最後は冷やりとしたなぁ」

 Мは苦笑した。先頭にさっきのお返しとばかりに強い打球を浴びせられてグラブで前にはじくのが精一杯だった。その次が三遊間のゴロで下手にダブルプレーを狙ってエラーするよりはボールをホールドして走者が三塁に来ないように制した。

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