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2013年5月12日 (日)

大阪感情線物語(9)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 六十本の缶ビールは最後まで残っていた者で分けた。投手を務めた者とМが三本、全ての試合に出ていた者二本という具合である。「労働の質と量に応じて分けるのが社会主義、必要に応じて分けるのが共産主義」と配分を見ていた自治会委員長が言うと「優勝チームの分配は資本主義だけど」と誰かが応じた。一本だけの者と十本もらった者がいたからである。

 Мは三本とも鞄に入れて駅に向かった。ビールはどうして苦いのだろうと思っていた。二十歳になるまであと一年あるため、歩きながら飲むのも気がひけた。踏み切りで止められていると今村と木下さんに出くわした。他にもAクラスの者がいて夏休みの計画とかを話していた。

「四試合で打点とホームランが一番多かったんじゃない」

 今村の問いにМは「さあ」と言葉を濁した。個人の記録には興味なく、三塁の守備がうまく行かなかった悔しさのほうが大きかった。改札をくぐると天王寺行きの普通電車が待避線に入っていた。先頭車両はいっぱいだが、後ろのほうに歩くのも面倒くさかった。夏休みに今村は車の免許を合宿で取るために島根県の益田に行くと言った。Mのほうは特に予定はなかった。

 特急電車が通過してから電車が動き出した。天王寺に着くとループ線の外回りにするか奈良からの快速電車に乗るかで歩く距離の短い外回りに決まった。天王寺始発で内回りというのもあるが、これは両側がホームに接しているものの、入れるのは内回り側だけになっていた。天王寺を終点にする場合は外回り側から降ろされた。

 大阪ではいつもと違って中央口の改札から出た。木下さんは改札を出ずに東海道線のホームである。中央口の広い通路は旅行情報を得られるコーナーとか大阪城の模型などがあった。南は地下に降りて阪神や大丸のデパートの地下一階に通じていたし、北は二階に上がって食堂街に通じた。この北には国鉄大阪管理局の古風な石造りの建物や貨物の駅があった。食堂街の前の通路からそのまま阪急梅田駅の二階に移動して電車の真ん中付近に乗るルートを使うのは珍しかった。

 今村は普通、Мは特急に乗り込んだ。特急は普通より一分早く出発した。宝塚線の急行、京都線の特急との同時発車であるが、Мが乗った電車は出足が鈍くて他の二本に差をつけられていた。淀川の鉄橋で急行とは並んだが、京都線の特急が一番先に十三駅に滑り込んだ。

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