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2013年4月24日 (水)

下り坂(137)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 酔いが回るに連れて七段の先生方は民主党政権の批判を始めた。元々連盟自体が自民党支持だったのだからこうなるのは仕方ないが、哲也は大企業の近年まで連合加盟の組合員だったことから政権交代に対しては好意的に見ていた。過去五十年を見ても日本以外の先進国で政権がずっと同じというのはなかった。アメリカは民主と共和が知っている範囲で5回変わったし、ロシアは七十年続いた一党独裁が終わった。イギリスもフランスもそうだし、その点で、政治的に未成熟と見られる日本に一つの刺激だと思った。

「沖縄の基地を他が引き受ける。そんな男気のあるところなんてないでしょ」

「強いて言えば、琉球侵攻をした薩摩藩の鹿児島剣が責任とれよぉだよね」

「でなかったら暇な空港、関西国際空港なんかそうじゃない、あっ佐賀も暇らしいなぁ」

「岡部君、そういう空港っていっぱいあるよね」

 哲也は「まぁそれは・・・」と言葉を濁した。中国や北朝鮮に対する抑止力としてのアメリカ軍の存在は西日本に必要だった。もっとも米兵の犯罪という問題は佐世保でもあったし、岩国も然りである。

「それに事業仕分け、あれ何だね。二位じゃ駄目って馬鹿なことを・・・ナンバーワンでなければ駄目」

 この先生は「世界に一つだけの花」は亡国の音曲と言っていた。確かにオンリーワンでいいは駄目というのは哲也も同感だった。

「金の効率的な使い方は考えないと駄目なんですよ。役所ってコスト意識がなさすぎます」

 五段の銀行員が話にひきずりこまれて相槌を打ったが、こちらも政権交代に関しては少しばかり肯定的だった。それだけ自民党が長期政権にあぐらをかいていたことに対する辟易としたものは哲也たちの年代に強くあった。

「国土交通大臣なんてどうなんだね」

 哲也はそう尋ねられて「鉄道おたくだそうですから適材適所じゃないですかねぇ」とお茶を濁した。

「ふぅん、しかし社民党から副大臣を引っ張ってきたのは気に入らないねぇ」

 哲也は応じなかった。水を向けられたIの父が「女の子連れ去るくらいどうでもいいじゃないですか」と酔いに任せて暴走発言をした。

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