軍艦のある丘(2)
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一階の東南端にある通用口から入り、二階のフロアに上がった。富士山の見える側であるものの、景色を見る余裕などなかった。窓のすぐ外はバス停になっていて、ここも二階が一階に見える場所である。注射スペースの向こうには体育館があった。
八時四十五分には台車を転がして一階の「郵便室」に行った。ここで支社から送られた書類入りのダンボールを受け取るが、エリアごとに分かれていて私のところは北海道・東北に関東の一部だった。
ダンボールを開けると健康状態を告知する書類を入れた封筒を取り出して鋏での開封となった。一日に二千件程度が送られるのをまず血圧と尿、体の図に異常がないものには日付印を押した。職業欄を見て職業コードを記入するのも合わせて行った。
職業はリスクを見る上で大事な鍵になっていた。タクシーのドライバーは交通事故にあう可能性が高く、潜水作業員やテストドライバー、競馬の騎手は保険金額に制限があった。漁船もトン数によって区分され、遠洋に出る三百トンクラスは遭難の危険がもっとも高いとされていた。
書類を受け付けて支社ごとの棚に格納する部署は五つのエリアで総勢五十人いた。私の担当する棚は山形・前橋・大田・浦和である。本社から出される中間の決定では、金額五千万円以上、一億円以上、特別な調査といったものがあり、それに応じた書類が届くと申込書のコピーや健康の告知書類と合わせて決定する部署に回した。
この書類は虫ピンで止めることになっていて、手馴れた一般職の社員は30分程度で書類を回すことができたが、作業にまだ慣れていない新人は昼近くまでかかった。七月になると「販売強化月間」で支社から送られる書類は三倍に増えるので、手が速く動かないと寮に帰れなくなると脅された。
書類は全て十三桁の番号で管理され、山形は475、前橋は510、大田は511、浦和が523で始まる番号だった。大田は四月に前橋から独立したばかりで、まだ510で始まるものが残っているから気をつけるようにと横の先輩社員に言われた。
同期入社のものは関西エリアを担当する鹿児島出身、九州・四国エリアの埼玉出身、さらに書類をみて中間決定や最終決定を出すところにW大出身一人、特別な調査を依頼するところにk大出身が一人、八月に予定されているシステムチェンジの準備をする事務企画にW大出身の者が一人配属された。大井地区全体では情報システム、保険金支払、企業年金、営業人事部という具合である。
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