下り坂(144)
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オフィスの自席に戻った哲也はパソコンの電源を入れた。省電力モードは30分以内の離席、これ以上だと電源オフということが奨励された。窓を開けることは構造上不可能で、カーテンで日光を遮った。窓に近い部分の蛍光灯は外され、廊下も昼休みは消灯である。まるで昔あったD航空並みだが、コストと環境の両面に節電という社会的要請も加わった。
復興支援に何ができるかということで、マイルの寄付というのもあった。哲也も震災直前に5000マイルが貯まっていたが、寄付した。小銭の募金箱がコンビニやスーパーのレジに置かれたりしたが、哲也はiDや交通系のICカードで決済することが多くなっていた。
A空輸にとって明るい話題は787がようやくデリバリーされるということである。世界で最初の運航はまさに「新品の胴を初打ち」というエクスタシーだった。最初の機体が届いたら被災地の子供を体験飛行に招待するという案が出ていた。そのあと国内では羽田と山口宇部・岡山に入れて徐々に路線拡大、国際は羽田とフランクフルトを結ぶ路線というように計画が練られた。
特別塗装は、人気アニメのポケモンに加えて、昭和四十年代の塗装でモヒカンルックと言われた水色のラインのものが767、そして前年の夏から起動戦士ガンダムの人気にあやかったラッピングも出ていた。ガンダムでは抽選でプラモデルがあたるというキャンペーンが張られた。一番機には787と大書きしてアピールする予定である。
J航空のほうは公的資金注入に伴う大リストラとなっていたが、昔の鶴丸マークを復活させるなど再び力を取り戻しつつあった。A空輸では従来よりも運賃を大幅に下げた子会社を設立して関西をベースにする計画を進めていた。同期の中にはそこに籍を移した者もいて後戻りはできないのだと感じさせられた。 気がつくと哲也の四十五歳の誕生日は目前だった。
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