軍艦のある丘(7)
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職場が二階から三階に上がってもエレベーターの使用は許されない雰囲気だったので階段を使った。西側のフロア全体は仕切りの壁がなく、支社対応のグループはエレベーターホールに通じる一番近い場所だった。階段からは決定・査定のチームのコーナーの脇を通る形である。
八時十五分に職場に着くとまずラップトップパソコンの電源を入れた。これは支社対応に八台あり、社員番号とパスワードを入れられる状態になるまでの間に出勤簿に判子を押した。盆が明けてから八時半出勤は変わらないが、帰る時間はドンドン遅くなっていた。ファクシミリから吐き出された紙を整理し、紙切れになっていないか確かめるとやはりなくなっていた。
二十人の決定スタッフも帰宅は午後六時であるが、九時の朝礼で土曜日の出勤が申し渡された。その段階にはもう電話が鳴り始めていた。個人年金や一時払い養老保険のように生きていれば給付金がもらえるタイプは審査が厳しくないため、コンピュータで自動的にオーケーとなった。問題は本社から調査を色々と指示されるものである。最初は七月分の積み残しだろうと思っていたら、書類自体が回っていないようだった。正確には書類を回すときに添付する契約内容を記した紙が自動で出力されず、契約内容問い合わせのパソコンを使って手動で出力しないといけないということだった。
支社から送られるダンボールを開封するのはDシステムという子会社で同じ三階のフロアだった。健康診断の書類は九時半頃にやってきて二十人が手分けしてチェックした。この二十人は新規は三千万円、更新で五千万円までの契約を判定する権限が与えられた。まだ不慣れなこともあって一つの書類を見る時間は七月以前の決定スタッフの数倍かかった。本社から追加調査の指示を出していいかも判断がつかずにこれも決定が長引く原因の一つのようだった。
新体制になってから私には「クレジットカード申請書」のチェックが割り当てられた。これは一日に十件あるかどうかで、暗証番号の削りだしである。番号がわかりにくいものも大体が「生年月日」と同一になっていた。キャッシュカードではよくないと言われていたので問題だなと感じて業務日誌にもそれは記した。
血液検査・レントゲン・心電図は件数が少ないので、やってきたら棚に直接行って健康診断書を取り出し、契約内容の記された紙を出力して査定の医師のところへ持って行った。この先生の勤務時間は午前十時から午後三時の範囲なので、作業もそこを見計らっていた。回らない書類は調査だけでなく、「保険料割り増し」などに対して他社の契約と競合していたり、他社から奪い取った契約だから何とかしてくれという「陳情」の書類もだった。とにかく問題のある書類ばかりであり、それが動かないのが状況を更に悪くしていた。
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