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2013年4月23日 (火)

下り坂(136)

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 平成二十一年の暮れも押し迫ってS剣友会の忘年会が行われた。Iの父が四段にたどり着いた祝いも兼ねてである。I自身は完全に剣道から離れてしまった。前の週には国土交通大臣杯が行われた。哲也はもう試合からは引退したつもりだったが、大将に入る人が怪我で出られなくなったという理由から急遽出場を頼まれた。先鋒はМだった。

 相手はN通運で大将は三十代である。Мは面抜き胴で一本勝ちしたが、次が二本負け、中堅も小手一本を取られて副将は引き分けだった。哲也は深呼吸をして進み出た。相手も哲也がどのレベルなのか図っている感じである。哲也は剣先を沈めて間を詰めた。相手の手元が浮いたので胴を抜いた。一人は旗を上げなかったが二人が認めた。

 このまま勝っても二勝二敗で本数差だった。哲也は思い切って面勝負に出た。相手も会い面に来て旗は三本とも向こうに上がった。そのまま引き分けで初戦敗退が決まった。帰りは新橋のイタリアンで反省会をやり、すぐに帰宅した。

 日曜日の区連盟稽古は二週続けて休んだ。元日にはまたK高の初稽古に出るつもりだが、高校生のスピードと真っ向勝負するのは無理だとわかりはじめた。週一回の稽古は維持していたものの、それでは五段は無理と承知していた。

 八段を諦めた七段が滞留するのと同じように哲也はほとんど子供相手という状態になっていた。もう高校生くらいになる子供がいてもおかしくないんだよなと思いながら基本の稽古に試合稽古とやり続けた。 

 最初にIの父に昇段祝いとして袴が贈られた。それから乾杯となったが、哲也は五段どうするんだと言われて言葉を濁した。S剣友会には四段が九人いて五人が五段挑戦中である。ここ数年、五段に上がった人は出ていなかった。受けている人たちは平日も稽古に来ているのだから「自分には受ける資格はない」というのが哲也の気持ちである。

 

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