下り坂(140)
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湯田温泉を離れたのは午前九時である。県庁の横にある瑠璃光寺の五重塔を見て萩に向かった。ここから萩往還という江戸時代の道があるのだが、道路はかなり狭いので遠回りになるが国道九号線と二百六十二号線を走った。哲也はレンタカーで走ったことがあるので感じはわかっていたが、ラクダの背中を行くように二つの峠超えだった。
有料だった萩近くのトンネルは無料になって料金所がなくなっていた。新しい橋ができて松陰神社も駐車場がきれいになっていた。前年の秋が松陰没後百五十年で、宝物館が新しく作られた。松下村塾は昔のままの姿で夏の日差しを浴びていた。昼食は市役所の近くにあるうどん屋で済ませ、高杉晋作の生家がある武家屋敷を見て長門への道に進んだ。
萩の街はどの方角から来ても急峻な峠超えがあり、長門方向はひときわ険しかったが、自動車専用道路の一部が開通して起伏が少ないもののトンネルで海岸近くを一気に抜けるコースとなっていた。長門の街には入らずに湯元温泉、於福と通過して美祢から高速道路に入った。関門海峡を見下ろす壇ノ浦パーキングエリアで休憩して運転を交代した。
北九州有料道路の富野で一般道に下りてスーパーに寄って帰った。翌日は昼過ぎにN中へ行くことにしたが、今も夏休みの後半は午前に補習授業をやり、午後はクラブという形だった。置き防具がカビくさくなっていないか点検して、袋の外に出した。ゼッケンは高校のをそのまま差し込んでいたが、色あせた中学のものを二十八年ぶりにつけた。防具を運ぶのはキャリーカートである。
顧問は哲也が卒業後に来た先生のままである。在学時の先生は体育と理科だけになっていたが、部で一期下だった者が教員として入っていた。二年おきで行われる同窓会は今年は裏年だが、次は小倉駅のホテルで行われる予定と聞いた。その小倉駅には「祝 全国個人優勝」の垂れ幕も張られると彼は言った。
「それで、高校はどこにするんだろうね」
「たぶん 東Fだと思います」
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