下り坂(126)
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「インバウンドの観光に活路を見出そうというところも出ているけど、西日本は特にその傾向があるみたいだね」
K主任研究員が言うように福岡では日英だけでなく中韓の観光案内板が増えていた。玉竜の会場もすぐ近くに釜山への航路があったし、天神とかでは一瞬チャイナタウンかと思うようなことも起きた。
「一箇所だけでなく広く駆け足で回るというようなことにはなるでしょうか」
「日本の海外ツアーがそうだからなぁ。イタリアなんてローマだけじゃなくてベネチア、フィレンツェ、ナポリとセットにするし。海外からの日本のイメージはたぶん東京しかないだろうけど、見る場所はあちこちに」
「何でアピールするかとなると温泉でしょうか」
「でしょうね。冬ならばスキーというのも。神社仏閣とかは人に寄るでしょうし、アトラクションもディズニーはもう日本以外にも出ているし。それからスポーツ観戦も外国人選手の制限緩和で呼び込むということですね」
昼休みのあと、長崎に出張している主席研究員からメールが来て、対馬と五島の観光振興というテーマを引き受けることになったと知らされた。哲也には山口に加えてこちらにもという話である。羽田からの直行はなく、福岡で乗り換えないと行けなかった。五島は平成十六年のインターハイで剣道の会場となり、N中で全国に出てМ高校に行った者が個人で出場した。彼はその後中田と同じ大学へ行った。
研究所に異動してから哲也は交通学会の活動にも積極的に動くようになった。月一回の関東部会は出張と重ならなければ出るということにして航空のみならず鉄道や自動車というテーマも聞くようになった。哲也自身は航空会社のアライアンスという個人研究を始めていて学会の部会長のC大学教授にも研究会での発表を希望していた。
イギリスのV航空のように独立したところもあれば、アメリカのU航空にドイツのL航空を中心としたアライアンスもあった。さらには中国のエアラインとして上海をベースとしたところとも提携を始めていた。それでも南米とオセアニア、アフリカは手薄なままである。
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