下り坂(95)
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土曜日の夜にS剣友会に行くのもすぐに再開した。先生からは「まだ四段になっていなかったのか」という驚きと十一月には挑戦しようということを言われた。会社の部としての活動は第三日曜日に港区で合同稽古となっていた。哲也は年齢的には副将か大将の位置に来ていた。
小学校の体育館での稽古は変わりなかった。体育館の横にあるトイレは和式三つが並んでいたのが、一つ洋式に切り替えられていた。自宅の洋式だと便が出尽くさない感じがして哲也は和式のところで改めてというようなことをしていた。着替えるのは手洗いのあとにステージ脇の楽屋でやり、帰りは着替えずに戻った。
不在だった三年間のうちに規模は少し小さくなった感があった。三年生までは一学年が五・六人という状態である。「岡部先生が戻ってきた」という高学年の中には初めて見る者もいたりした。大人は入れ替わりはあるものの、二十人前後がいるという状況は同じだった。
中二になったIが学校ではサッカー部に転向したのは少し残念な気がした。Iの入ったところには剣道部がなく、中学に入ってから休んでいる状態だった。「初段だけは取ろう」ということで稽古に復帰してきた。彼の父は哲也が転勤する前に稽古に加わるようになって、二段を受ける予定である。
中学生になったばかりのMも来た。Iは区の大会で入賞するほど勘がよかったが、Mはどちらかというとおとなしいタイプで、大会でもなかなか勝つことがなかった。それでも中学で剣道部に入ったのは哲也にとっても嬉しいことである。基本の稽古で相手をしてみるとずいぶん力強くなったと思った。
「審判の練習をしましょう。岡部君が主審を」
先生の指示で小学六年の二人とI対Mの二試合をやることになった。副審は三段の大学生と六段のO先生である。小学生の試合は二分でどちらも有効打が出ずに引き分けた。大学生が旗を上げたのもあったが、哲也とO先生は不十分と判断した。
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