« 東日本大震災(1792) | トップページ | 春一番が吹いたそうで・・・ »

2013年3月 1日 (金)

下り坂(86)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 小倉の実家はまったく変わっていなかった。トイレは和式便器を段に埋め込んだタイプのままである。日曜日の朝十時過ぎに哲也は母と車で小倉駅北口のRホテルに向かった。家の車は哲也が幼稚園の頃にメタリックのカローラ、N中に入った年に茶色のカローラ、そして五年前に白のカローラとなった。茶色のカローラは前のランプが二つずつ横に並び、最後のフェンダーミラーだった。ドアミラーは左右確認に視線を大きく動かさないといけないのが難点で、タクシーはフェンダーのままである。

 Rホテルが出来たのは三年前だった。三十階建ては九州で最高層と言われたが、それは福岡市の場合、空港に近いために高さ制限があるからだった。見合いの話を持ってきたのは母が生け花教室で知り合った人で、Rホテルのロビーで十一時という待ち合わせである。相手のプロフィールは「昭和四十二年六月八日生まれ S南女学院中高・短大 N銀行勤務」となっていた。N銀行の剣道部が強豪なのは哲也も知っていた。

 哲也が出したプロフィールは 学歴と勤務先に趣味として剣道と入れていた。相手のほうは園芸・旅行となっていて話は海外旅行になるのかなと哲也は考えた。ロビーで引き合わされた相手は写真と同じく少し痩せ過ぎのような気がした。哲也の父は前の晩にもう少しがっしりした骨格のほうがいいかなとも言っていた。相手の到着は二分ほど遅れた。向こうが住んでいるのは戸畑区である。哲也のほうは午後六時過ぎの「ひかり」を指定していた。家に帰ってからこちらの意向を母に電話するということで二人きりの時間に移った。

「どこでランチにしますか」

 哲也は相手の意向を尋ねた。S百貨店の上の回転レストランにしようということがすぐに決まった。Rホテルを出て小倉駅の自由通路で南口側に出ると駅前郵便局の横のエスカレーターでぺデストリアンデッキに上がった。S百貨店は二階部分からも入るように作られていて、二階の駅に面した入り口にはジャストタイムごとに「イッツ・ア・スモール・ワールド」を演奏する人形時計があった。

 エレベータで14階に上がって回転式の展望レストランに入った。ここは一時間かけて一周するようになっていて入り口を入ると南側の景色が目に飛び込んだ。料理は四川料理だった。

「旅行が趣味だそうですが、どんなところに行かれました」

 哲也の問いに相手は 日本国内は関西以西はほとんど、東京・北海道・沖縄、海外はシンガポール・香港・イタリアという返事だった。哲也は海外はイギリスだけと伝えた。

 

 

|

« 東日本大震災(1792) | トップページ | 春一番が吹いたそうで・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 下り坂(86):

« 東日本大震災(1792) | トップページ | 春一番が吹いたそうで・・・ »