下り坂(117)
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区大会の打ち上げをやる店はS剣友会のOBの経営で、子供も会員になっていた。Iの親子にМのところも親子で来て中一の部の優勝者もいたので祝勝会である。この店で哲也は昇段祝いをしてもらった。畳敷きの店内は二十人くらいでいっぱいである。
「優勝が二人に準優勝が三人、ベスト四も六人で今回は上々の出来だったです。次は算段までの審査でいい成果がでることを期待して 乾杯」
七段のB先生が音頭をとって乾杯した。Iはまだオレンジジュースにしていたが、大学ではアルコールを入れられているのだろうなと哲也は思った。
「勤務はずっと東京になりそうですか」
Iの父が哲也にビールを注ぎながら尋ねてきた。
「三年サイクルで転勤ですが、さてどうなるかが・・・海外は出張があるかどうかで」
「バンコクとか上海は日本から出ている人も多くて現地でも道場があるようですね」
A空輸の成田とバンコクの路線には747が使われるようになっていて、人の流れが盛んであることを反映していた。子会社のNカーゴもアメリカより中国の路線を充実させようという方向である。といっても貨物専用機は747では大きすぎて767でやっていた。
「ところで岡部先生は七月の中体連の手伝いはできますか」
B先生が話しかけてきた。中体連は地区と都の二段階あった。哲也は「今のところ第三の土日以外は空いています」と応えた。夏休みを入れて小倉に戻るとしたら小倉祇園のある第三週のつもりだった。
「では区予選のほうに審判の候補で入れておきますから」
中学生の試合となるとスピードの見極めもいるということで比較的若い年代で四段か五段というようになっていた。昇段してから何度か声をかけられたが、出向しているときは日曜日に出張ということもあって断り続けた。
「あっ、それと来月には審判講習会がありますので」
これは三段以上に参加資格があった。遠い先に錬士や教士の称号を取るときに必要ということだが、何だか色々と金を使わされるような気もしていた。一種の宗教とは口が裂けても言えなかった。
午後八時近くまで色々と話をしながら店に滞在した。そのあとはサッサと帰宅してNHKの大河ドラマ「MUSASHI」を見た。
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