下り坂(91)
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大阪駅前には第一から第四までの再開発ビルがあって第二には市立大学のサテライトキャンパスがあった。ここには社会人向けの大学院があり、交通学会の関西部会が金曜日の午後に行われた。哲也は大阪支店長が「関西発着路線への新規参入の可能性」という発表を行うための手伝いで第二ビルに出向いた。部会は午後二時から始まるが、その前に参加者への資料をテーブルに並べる作業があった。
哲也はもう一つの発表である市立大学教授の「浮体工法による交通インフラ整備の考察」という資料を並べているスーツ姿の学生に見覚えがあるような気がした。住吉武道館に出稽古にきた市立大の剣道部の中で「山田」という者がいた。彼が一番スキルが高く、哲也はじっくり呼吸を図って打って出た面に見事な抜き胴をもらったので強く記憶に残っていた。もちろん先に哲也のほうが面に対して胴を返した。苗字も覚えやすいし、中高と後輩だった者ともついつい比較した。
「もしかしたら一昨年、住吉武道館に来ませんでしたか」
哲也が尋ねると「あのときはいいアドバイスありがとうございました」と返事がきた。哲也は「相手の攻撃を待っているとうまくいかないけど今の抜き胴は気持ちで攻めていた中からだったよ」と言った。
「今は大学院なの」
「この先生のところで都市計画を専攻しています」
彼は剣道はOBとしてたまにやっていると答えた。段はあえて聞かなかったが、受けていれば四段は行けると見ていた。哲也は一ヶ月後に予定されている審査も「仕事」を理由に辞退した。本当は小倉に縁談のことで戻らないといけないことを念頭に置いていた。正月の帰省で会った下関の人とは三回目のデートでおしまいになった。最初は下関の街、次はスペースワールド、最後は福岡空港まで行って駐機場の見える食堂に行った。
浮体工法の話は関西国際空港の二期工事との関係で興味深かった。さらに沖を埋めるのは水深も深くなるし、それならば「全長四千メートルの航空母艦」にしたほうがよいのではないかと哲也は思った。日本の造船技術なら可能であるし、コスト的にもそちらのほうが安くできるというのが発表者の結論だった。
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