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2013年3月 3日 (日)

下り坂(89)

前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m

 岡山で座席は一割ほど空いた状態になったが、中田と通路を挟んだC席に移るのは無理だった。中田がE席の女性と小声で何か話しているのはわかったが、どんな関係かは不明である。四十分で広島に着くと下車する客がかなりあって座席は七割空いた。哲也の隣のB、そして中田の横のCが空席になった。発車して誰も来ないのを確認した哲也はそこに移動した。

「大阪勤務かぁ。小倉にはいつまで」

 哲也の名刺を見た中田が言った。哲也は「一月三日に戻る」と答えた。中田の名刺は「I商事ロシア・東欧事業部」で役職名はなかった。それからE席の女性はK高応援団の二期下だと紹介した。哲也は剣道部以外の女子は全く記憶がなかった。十五歳未満の女の子にしか興味ないと口にするのは高校生ならともかく三十路に突入した者ならば「チョット危ない」を通り越していた。

 小倉への帰省を「のぞみ」にした理由は航空運賃との比較だった。半年前から「幅運賃」という新しい運賃体系が導入され、割引運賃も最大35%が50%にまで拡大された。もっとも50%引きは二ヶ月前の予約で座席には限りがあり、盆や年末年始には設定されなかった。さらに東京と福岡で従来は約二万五千円だった普通運賃が、客の多い時期に2万7000円というのも利用者の顰蹙を買った。新しく設立された「スカイドリーム」というエアラインに希望する声が出ているのは哲也も業界人として知っていた。

「向こうに行く出張は多いの」

「石油関係で三ヶ月に一回のペース。自動車関係が現地生産するみたいだよ」

「部品はこっちで作ってかな」

「それならテツのところもビジネスチャンスか」

 J航空はモスクワ路線を持っていたが、A空輸はウィーンへの経由としてだった。採算が悪いので、オーストリア航空との提携という形にしてモスクワには寄らないという方向が決まっていた。

 徳山の石油精製工場のそばではやはりスピードを落とした。右手に岩肌がゴツゴツした山が見えると小郡である。丘陵地帯を駆け抜けて長いトンネルに入ると小倉まではすぐだった。残っていた乗客の半分以上が降りる支度を始めた。

 

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