下り坂(108)
前回までの 内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧くださいm(_ _)m
実技の発表を見るために哲也は垂れだけ着け、木刀と学科の答案を持ってアリーナに下りた。福岡では学科は床に這いつくばって解答したが、東京では申し込み時に学科の問題が出されて原稿用紙に書いて実技合格者のみ提出となっていた。今回は「指導者としての留意点」「剣道形小太刀二本目を説明せよ」だった。何度も書いて提出できなかったが、とりあえず「380」と書き込んだ。ワープロでの作成はもちろんご法度である。
審査委員長の講評のあと、各コートで紙に番号が書かれたのが貼り出された。哲也の番号はあった。同じ五人組みでは「377」も通っていた。そのあとは「384」だけである。答案を提出すると剣道形のために整列させられた。哲也は一番最後のグループで仕太刀と小太刀になった。小太刀は内側に置くというのに注意した。コートでの実技合格者は百二十八人中三十人である。大学生のところは半分が実技をパスしていた。
形は間違えたら自分から申し出ればよかったが、審査員は間違いを指摘しないで落とすと言われていた。形や学科で落ちた場合は一度だけ実技なしで再受審できるようになったが、それでもプレッシャーは強かった。航空事故は離陸の三分と着陸の八分が魔の時間と言われていたが、形はほぼ八分を要した。一コートで三組ずつやるので、哲也の番になるのは30分先である。
何とか間違えずに最後まで進んだ。大学生のところが終わるのを待って最終発表が行われた。二人番号の上に線を引かれたが、哲也は無事だった。大学生では十人前後が形を受け直しにされた。観覧席に戻ると一緒に受けに来た中で四段が哲也の他に大学生一人、五段は還暦に近い人が一人通ったとわかった。今回も駄目だった人は既に着替えていた。哲也は登録料を納めに再びアリーナに下りた。
「ようやくたどり着きました」
登録料を納めてから哲也は階段の近くにいたK先生に報告した。先生は別のコートで審査をしていた。
「いい気分で新世紀迎えられるね」
「東京にいる間にたどり着けてよかったです」
「三年ごとに転勤なのかな」
「来年の春には異動になると思います」
「また次のステップがあるから」
四年後には五段挑戦という道のりである。どこに転勤となるのか稽古環境はどうなるのかよりも今は肩の荷が下りたというのが正直な気持ちだった。
「
| 固定リンク
コメント