下り坂(87)
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大阪とロンドンをつなぐ便が出来て次にイタリアへの便の準備でいろいろやっていると哲也は言った。仕事の話に触れたうえで、相手がついてきてくれるのかというのが重要だった。大阪の次にどこが勤務先となるのかはわからないが、TOIECのスコアが730をクリアした先輩たちはロサンゼルス・ニューヨーク・ワシントン・ロンドン・パリ・フランクフルト・シドニーといった海外事務所に赴任を許されたことも述べた。
「720まで取れたけど、あと少しなんだよね」
哲也がそう言ったとき、隣のテーブルに五歳くらいの女の子を連れた家族連れがついた。何気なしに哲也の視線は女の子の着ている服や髪型などを見回していた。
「中国とかはどうなんですか」
少し間をおいて質問があった。哲也は大連・北京・上海・香港に事務所があるし、大学では中国語を取ったと答えた。窓の外は東側に移って小文字山の「小」の字が真正面に見えた。盆のとき、ここでかがり火が焚かれた。
展望レストランのあと、どこに行くかが問題だった。帰りの新幹線まで約五時間あるので、門司港のレトロ地区にしようかと哲也は言ったが、まだ寒いからということで、S百貨店の中を見て回ることにした。地元に残っている者にバッタリ会うかもしれないなと思いながら哲也は一つずつフロアを見て地下まで下りた。
もう少し暖かくなったら門司港に行きましょうと言って別れたのが午後二時過ぎである。哲也は小倉駅の窓口で早い列車に変更できるか尋ねた。三時過ぎの新大阪止まり「ひかり」が空いていて、これも横四列とゆったりした座席である。もし次に会うとしたら三月かなと思いながら山陽路を東進した。
乗車券は大阪市内が有効なので新今宮まで乗って南海に乗り換え、近くのスーパーで買い物をして家に戻った。実家との電話はJR系の電話会社を使っていて、夜九時を過ぎてからかけると母が出た。
「もう一度お会いしてもいいですよ」
哲也がそう言うと母は「うぅん、向こうからもう連絡があって、海外までついていく自信がないというご返事だったのね」と知らせてきた。さらに「また別の人を紹介しますから」ということも付け加えられた。うまく行かなかったことは少しショックではあるが、まだ自由でいられるという安堵感が哲也にはあった。
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