下り坂(98)
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元日は例年通り93番のバスでK高に向かった。防具はかつて使っていたものをすべて実家に「置き道具」とした。ずっと胴は黒一色だったが、初めて紅溜というワインカラーのものに金色の家紋を入れた。十月にデビューして初めて着けたが、初打ちになったのは基本稽古で小手・面・引き胴となったMからである。彼は中学で新チームになってからレギュラーに入っていた。Iは初段を取ってから来なくなってしまった。
十一月の昇段審査は一人目がオランダ人だった。身長は百九十センチあり、面が届かないというのが難点である。哲也はそれでも初太刀で出小手を決め、さらに面返し胴も奪ったが、発表では哲也の番号がなく、オランダ人のほうが受かっていた。「これは剣道の神様から与えられた試練」と言われて二月の申し込みもしていたが、出口のないトンネルに入ってしまったような心地だった。
初稽古の案内では、道場は取り壊されて、現役はW高と商業高校に合同稽古させてもらっているとなっていた。新しい体育館の一階に柔剣道場と食堂、二階にアリーナが設けられ、完成すると古い体育館を取り壊すそうである。古い体育館は南側の階段を上がった部分に体育教官室と女子更衣室があり、着替えるのは女子更衣室ということになった。それは現役時代の禁断の場所でいったいどんな感じだろうと思いながら階段を登った。
現役は一・二年合わせて約二十人である。N中からは各学年一人ずついた。八段の先生が亡くなって、先生の長男が顧問を務めるM中の出身者とF中が主力だった。OBのほうは永田が欠席で、警察に入ったという永井や福岡の拘置所に在職する山田もいなかった。大学生は正月に集まるという名目で来ているが、稽古する者と見るだけの者が半々である。哲也の前後がぽっかり空いているというのは変な気分だった。
哲也は審査を意識して一番最初の面に心血を注いだ。まず面、それから相手が小手に来たら合い小手・面、面に来たら抜き胴という具合にほぼイメージに沿ってできた。N中の後輩には最後の一本勝負で二年生からは出小手、一年生からは引き胴を取られた。本当はうまく相手に取らせるというように仕向けた。F中出身のキャプテンからは胴を抜かれたのを有効と認めた。
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