下り坂(106)
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秋の日差しが東京武道館前の広場に降り注いでいる。午前九時に玄関が開くのを待つのは剣道四・五段の審査を受ける人たちだった。哲也もその中で防具袋を地べたに置き、木刀をくくりつけた竹刀袋を肩にかけて航空専門誌から送られたゲラを見ていた。それは哲也が原稿依頼を受けたものである。
二月と四月もあと一つ丸があればという状態だった。七月にはN中で卒業以来初めて稽古した。主力メンバーに女子の一部とも竹刀を交えたが、部員は全部で四十人近くいるので十五人が限界だった。個人で全国出場を果たした者がいたが、団体は県で涙を飲んだ。女子は市大会で終わったが、県進出が次の目標である。
玄関が開くと観覧席に上がった。同じ区から四段七人、五段四人が申し込んでいて、観覧席の場所も決めていた。哲也は道具を置くと、受審番号をもらいにアリーナへと向かった。階段を下りていると強い便意があった。過去二回、番号をもらってから手洗いに入ったが、今回は先に行くことにした。
玄関に近い所は入り口のそばが喫煙所になっていて息が詰まるような煙たさになっていたので、哲也は弓道場に近いあまり人の来ないほうに行った。トイレ用の下駄を履いて一番手前の和式に入った。水溜りの後ろから前にかけて一直線に太い塊が横たわった。紙もそんなに汚れず、哲也はこれで体が軽くなったなと思った。洋式が増えていく状況に哲也は不満があった。和式のほうが足腰のトレーニングになるし、便の状態をよく観察できるからである。
試合場はいつもと同じく七つだった。四段が四つ、五段は三つ、哲也のところは四段の第三でもらった番号は「380」である。四段は五百二十人が受けることになっていて、哲也は第三の終わり近くなるため実技は長く待たされることになった。四段も五段もなかなか合格させてもらえないため、見たことのある顔も多かった。
観覧席に戻ると哲也は番号のシールを垂れに貼り付けた。初段・二段を受けたときはチョークで垂れに番号を書いていたし、三段のときもチョークだった。垂れと胴まで着けて再びアリーナに下り、素振りと準備運動をすると開会式に臨んだ。十一月は大学生が受ける資格を出来て最初に挑戦ということから人数が多く、二月・四月と合格していって減少した。哲也は来年はどこに転勤になるかなと思っていた。
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