下り坂(120)
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昼食は研究会で用意された弁当を控え室で会の役員や司会と食べた。中身は運輸政策機構に出向しているときに委員会などで出されたものと同じグレードである。大学院生の突飛な質問はなかったことにするとなったが、スカイドリーム側の考えも研究会で取り上げてはどうかと言う役員もいた。
経団連会館を出ると丸の内線で銀座に移動した。職場は霞ヶ関から新橋駅の東、日本で初めての鉄道が開業したときの新橋駅の横にできたインテリジェントビルに移った。新橋駅の駅舎やホームが再現され、哲也のいるフロアから見下ろすことができた。通勤ルートは表参道で銀座線に乗り換えである。経団連会館に行くときは千代田線のままだったが、帰りは別ルートとした。
経営企画部と広報室はここでも同じフロアで隣り合わせだった。哲也は自分の席に着くとパソコンを立ち上げてメールをチェックした。7X7のほうは運航や整備の部門にボーイングとの折衝が移り、哲也は他のエアラインとの提携のほうに関わるようになっていた。それは海外のみならず、国内に新たに参入したF航空やN航空である。ブランド力ではA空輸が圧倒していることもあって時刻表に載せて欲しいとF航空は求めてきた。仙台を拠点に大阪や広島に飛ぶのはA空輸にとっては競合しないということで受け入れた。
N航空のほうは最初は福岡を拠点に新しく参入しようとしたエアラインだが、スカイドリームに先を越されて宮崎に拠点を移した。宮崎と羽田に737でA空輸と同じ便数を時間が重ならないように入れてきた。さらに熊本と羽田という路線にも拡大を図っていた。さらに北九州の空港が新しくなるのを見越してS航空というのが設立された。哲也にとっては故郷と東京を結ぶところということで、提携を模索していた。滑走路は747が入れるものの、需要は737かA320で十分だった。
夜の七時過ぎまで職場にいて夕食は新橋駅近くの牛丼屋のワンコインセットで済ませた。豪徳寺の自宅に帰り着くとシャワーを浴び、家のパソコンでインターネットである。ブロードバンドの契約をして玉竜の中継もこれで見た。尾崎は二年では大将に入り、一年にはN中から島田と大原が入ったがレギュラーはまだ取れなかった。大阪から来たチームに四人抜かれ、尾崎は抜き胴二本取り返して五人抜きは阻止したが、次が引き分けで終わった。
キャプテンになった尾崎は最後の年も大将だった。まず山口のチームに二人残しで勝ち、次は大分のチームと大将までもつれたが、尾崎は抜き胴一本で勝ち抜いた。最後は兵庫のH学園で相手の中堅と尾崎が引き分けて終わった。大原が中堅に入ったが、いずれも引き分けだった。そして今年は大原がキャプテンで大将、島田は次鋒となった。相手は鹿児島のチームでいきなり三人抜かれ、副将に入ったN中出身の岩下が面抜き胴と小手抜き面で一人抜き返したが、次が引き分け、大原も引き分けだった。
K高の女子に大原の妹が一年で先鋒として入り、緒戦で佐賀のチームを五人抜きしたのは驚きだった。二回戦は先輩に譲ってチームは負けてしまったが、兄よりも妹が強いのではないかという仮説は本当になった。さらに島田の妹がN中の三年で、全国にあと一勝だったと聞いた。
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